かつて六本木にあったとされる『野獣会』が、およそ60年の時を経て、復活されようとしている、という噂があった。
その噂を耳にしたマダム・トンミーは、普段は、知的、理性的な夫が、実は『ケダモノ』でもあったことを思い出し、疑念を抱いた。
「この人、『野獣会』なのかしら?外で『ケダモノ』になってるのかしら?」
と、妻が無用な心配をしていることも知らず、ビエール・トンミー氏は、惰眠を貪っていたのであった。
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美人講師は、自らの眼を疑った。
眼の前に、『ケダモノ』がいたのだ。
オープンカレッジの教室に何故、『ケダモノ』がいるのだ。
信じ難くて、眼を瞬かせた。
すると、『ケダモノ』は消え、いつものエロ爺がそこにはいた。教室最前列、中央の席に。
舐めるような視線でこちらを見ている。気持ち悪いが、もっと舐めろ、と云う、もう一人の自分の声が聞こえる。
キンコンカンコーン!
そんなことに囚われている場合ではない。講義だ。講義をしなくては。
今日のテーマは、『フォヴイスム』だ。『野獣派』だ。
「『フォヴイスム』が、『野獣派』とされるのは、批評家ルイ・ヴォークセルが…..」
そうか、『野獣派』という言葉から、『ケダモノ』の幻想を見たのだろう。
『野獣派』は、決して『ケダモノ』を描くというものではないが、自分の中にもある、抑え切れない『野生』が、『野獣』という言葉から『ケダモノ』を連想させたのかもしれない。
そして、気持ち悪いと思いながらも、自分と同じ『野生』の臭いの持ち主であるエロ爺の姿を『ケダモノ』と見間違えてしまったであろうか。
「先生、質問です。どうかされたのですか?」
しまった!沈黙していたようだ。爺さんに質問というか、声を掛けられてしまった。
マズイ。また、自分の世界に入りかけていた。
「アンリ・マティスは......」
講義を続けた。
しかし、爺さんの臭いがもろに浴びせかかって来る。
「『フォヴイスム』の画家たちを指導したギュスターヴ・モローは、….」
頑張って講義を続けた。
エロ爺の臭いは、『野生』のものだけでなく、老人臭混じりなので、尚更、臭く、饐えたものだ。
そんなもの嗅ぎたくはない。嗅ぎたくはないが、その臭いを自宅に持ち帰ってしまうのだ。
その日も、エロ爺の臭いは、美人講師の意思とは関係なく、彼女の自宅マンションまで付いてきた。
『野獣派』の講義をどう終えたか、記憶にない。
講義の間、幾度も、爺さんが『ケダモノ』に見えた。爺さんの『野生』の臭いが浴びせかかって来た。
疲れた。いつも以上に疲れた。
帰宅し、着ていた服を脱ぎ、クローゼットにかけようとすると、爺さんの臭いが鼻をつく。服に染み付いてしまっているのだ。
「チクショー」
と思いながらも、ハンガーに掛けた服に鼻を近づけてしまう。
爺さんは、言葉は悪いが、本当に『チクショー』だ。そうだ、『野獣』だ。『ケダモノ』だ。
「…若い方たちはご存じないかもしれませんが、かつて六本木にあったとされる『野獣会』が、復活されようとしている、という噂が……」
???…..ニュースだ。帰宅して直ぐつけたテレビから聞こえて来たのであった。
『野獣会』なんて聞いたことはない。しかし、気になった。『野獣会』が何であるのか知らないが、気になった。
『ケダモノ』に化した爺さんの姿が眼前に浮かんで来た。
「あの爺さん、『野獣会』かしら….六本木の夜で『ケダモノ』になるのかしら」
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「あの爺さん、『野獣会』かしら….六本木の夜で『ケダモノ』になるのかしら」
と自宅で呟く美人講師を見た。
美人講師の自宅がどこにあるのか知らない。勿論、行ったこともない。
しかし、美人講師が、自分のことが気になって仕方がない様子を見ている。
「夢だ」
ビエール・トンミー氏は、それが夢であることを自覚していた。目覚めてはいなかったが、眠りの中で、それが夢であることを理解していた。
美人講師が自分に囚われていることに、それが夢と分っていても、ビエール・トンミー氏は、『興奮』した。
目覚めてはいないのに、自分の体に『異変』が生じていることが分っていた。
しかし、その『異変』を妻が見ており、頬を薄桃色に染めて、こうつぶやいたことは知らなかった。
「この人、やっぱり『野獣会』なのかしら?外で『ケダモノ』になってるのかしら?」
(続く)
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