かつて六本木にあったとされる『野獣会』が、およそ60年の時を経て、復活されようとしている、という噂に関する質問に、ビエール・トンミーが答えた。
「ワシは元々、『野獣会』のメンバーになる存在ではなかった。ただの『野獣』ではない。『インテリ野獣』であったのだ。理性と野生が共存した稀有な存在であるのだ」
変態老人の言い訳は聞き苦しいが、どうやら、ビエール・トンミー氏は『野獣会』復活とは無縁のようだ。
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「フォーヴィスム.......」
マダム・トンミーは、夫のうなされるような寝言を耳にした。
「フォーヴィスムって、なんだったかしら?」
『お昼ご飯よ』、と呼んでも起きてこない夫を起こしに来たのだ。
夫は、毎夜、明け方まで、歴史や世界情勢、そして、しばらく前からハマっている西洋美術史に関する本を読んだり、それらに関するビデオを見て、勉強しているのだ。
仕事を完全リタイアした還暦過ぎの老人なのに偉いと思う。
10歳も年上の会社の先輩だった夫と結婚したのも、そんな夫のインテリゲンチャなところに魅かれたのだ。
勿論、『原宿のアラン・ドロン』とも云われた美貌にも魅かれたのではあった。
いや、最初は、今で云うイケメンぶりに参っただけであった。
しかし、付合ってみると、その博識、見識に驚かされた。
商学部だから、マーケティングや簿記に詳しく、財務分析というものにも通じているのは、まあ当然としても、フランス語も達者あったのは意外であった。
今でも、フレンチ・レストランに行き、食事を摂ろうとすると、「ボナペチ」と云う。
カトリック文学にも関心があったようで、遠藤周作の「沈黙」を読んでいた。
モーリアックだとか、グレアム・グリーン、ジュリアン・グリーン、ジョルジュ・ベルナノスなんて、聞いたことのない作家の名前を挙げ、『原罪』がどうだこうだ、と熱っぽく語っていたものだ。
.......と、寝ている夫が、寝たまま右手を上げる仕草をして、
「先生....質問.....」
と、か細い声をだした。
そうか、西洋美術史のオープンカレッジの講義の夢をみているのだ。
『フォービスム』も、何だかは分らないが、西洋美術史関係の言葉だろう。
夢に見るほど、西洋美術史に入れあげているのだ。
「アンリ・マティス....」
夫の美貌と知性に魅かれたが、結婚してみると、また別の一面も知ることとなった。
正確に云うと、結婚してみて、というよりも、結婚前に、より『深~い』お付合いをするようになって知ったのだ。
知性と理性の塊のように思っていた夫は、実は『野獣』でもあったのだ。
「ふふ」
思い出し笑いをしてしまった。
最初は戸惑ったのであった。夫がこんなに猛々しいとは思っていなかった。
『初めて』の時、夫に思わず云った。
「あなた、『ケダモノ』ねえ」
不満を云ったのではない。
普段は、知的、理性的だが、ソノ時、『ケダモノ』に豹変する夫が、むしろ嬉しかった。
夫が、かつて『ケダモノ』であったことを思い出し、ふと思った。
「ウチの人、ひょっとしてメンバーかしら?」
最近、噂を耳にしたのだ。
六本木にかつてあった『野獣会』というグループが、何だか60年ぶりに復活するという噂だ。
『野獣会』がどんな集りかは知らないが、『野獣』、『ケダモノ』のような者たちのグループなのであろう。
まさか、とは思うが、夫もその『野獣会』のメンバーなのではないか、という疑念が、頭を過ぎったのだ。
しかし、マダム・トンミーは直ぐに、思い直した。
夫は今はもう、『ケダモノ』ではない。
むしろ今も『ケダモノ』でいて欲しいくらいだが、夫も老いた。
その時、夫か四度目の寝言を吐いた。
「ギュスターヴ・モロー.....」
モローって、聞いたことのあるような名前だが、はっきりは分らない。画家だろうか?
「ギュスターヴ・モロー.....」
と云いながら、夫は寝たまま体を少し横向け、体のある部分を露わにした。
夫が、少し、少しだけ『ケダモノ』を取り戻しているようにも見えた。
「あら.....!」
夫人は、頬を薄桃色に染めた。
「この人、やっぱり『野獣会』なのかしら?外で『ケダモノ』になってるのかしら?」
と、妻が無用な心配をしていることも知らず、ビエール・トンミー氏は、まだ惰眠を貪っていた。
(続く)
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