「エヴァさん、曲がれるよね?」
リフトに乗る列のすぐ前にいた女性に、もう一度、尋ねられたが、エヴァンジェリスト氏は、
「は!?......いや…..」
と、曖昧に答えただけであった。
「あ、そうかあ。そうなんだあ…..」
「(いや、違うんだ!)」
列のすぐ前にいた女性の背中に、必死に眼で訴えた。
「(ボ,ボクは、『曲がったことが嫌いな男』なんだ。スキーで『曲がる』なんてことはできないんだ!)」
1982年の冬、エヴァンジェリスト氏は、こうして、会社の同期の皆でスキーをしに来ていた草津のスキー場のリフトに乗る列から1人離れて行った。
「(ボクは、『曲がったことが嫌いな男』なんだ)」
列から離れて行きながら、まだ言い訳をしていた。
「(でも、あのカーブを『曲がらなかったら』、山から飛び出してしまうんだ)」
「(スキーのジャンプはまだ練習していないんだ)」
「(どうするのだ……何をするのだ……..)」
ロッヂ前に立ち、リフトに乗る列に並ぶ会社の同期連中を見遣った。彼らはもう、別世界の人間であった。
「(ボクはやはり所詮、貧乏人の小倅なのか)」
眼前のゲレンデがスクリーンとなり、そこに広島のキリンビアホールのテーブルを囲む家族の姿が映った。
「(小学生の自分には、キリンビアホールでの食事が年に1度の贅沢だった)」
その暖かい想い出が、今は自らの惨めさを知らしめるものとなっていた。
「(やっぱりスキーなんて、金持ちの道楽スポーツだ)」
貧乏人としての矜持を取り戻してきていた。
「(金持ちなんて、『義人』だ)」
同期の連中だけではなく、眼の前のゲレンデで屈託なくスキーに興じる男女は皆、エヴァンジェリスト氏にとって、自身の修士論文『François MAURUAC』論的世界の中に於ける『義人』であった。
「(『義人』は、平気で『曲がる』のだろう)」
エヴァンジェリスト氏の論理は、経験のないスキー・ジャンプよりも更に飛躍していた。
「(ボクは、『曲がったことが嫌いな男』だ。だから、『ウエ』には行かないのだ)」
…….しかし、エヴァンジェリスト氏は、自身が詭弁を弄していることを知っていた。
だから、頭の中で、列の前にいた女性の言葉がリフレインしていたのだ。
「エヴァさん、曲がれるよね?」
(続く)