「(あ、あ、あれは…….)」
まだ京急川崎駅のホームに停まったままの『大師線』の電車の中から、見えたのだ。
「(『有紀』さん…….)」
そうだ。ビエール・トンミー氏は、『大師線』のホームを歩く『内田有紀』を見たのだ。南武線の中で見かけた『内田有紀』に酷似したご婦人だ。間違いない。娘らしき中学生を連れている。
「(ううーっ!)」
今度はなんとか、唸り声を押し殺した。『腫れ物』が更に腫れた。
「『鈴木町』って、すごい地名よねえ」
「んん?」
妻が、これから行こうとしている『鈴木町』のことについて話し掛けてきた。
「味の素の工場があったからでしょ」
「あ…..ああ」
『腫れ物』が気になりながら、いや、『有紀』さんのことが気になりながら、生返事をした。
「味の素の創業者が、『鈴木』さんだったからなんでしょ?」
「ああ….駅名も最初は、『鈴木町駅』ではなくって、『味の素駅』だったらしいよ」
なんとか冷静さを装いながら、解説した。
「へえええ、そおなの!アータって、ホント、なんでもよく知ってるのね!」
並んで席に座った妻が、甘えるように頭をビエール・トンミー氏の肩に乗せてきた。
その弾みで腕が動き、『カメレオン』のアクセサリーを付けた鞄が、膝からずれた。
「ま!」
マダム・トンミーが小さく叫び声を上げた。
「アータったら!」
夫の『腫れ物』の部分を見ていた。
「アタシが体を寄せただけで、ん、もう…..ふふ」
ビエール・トンミー氏は、危うく難を逃れた。
その時、車両のドアが閉まり、電車が動き出した。
(続く)
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