(うつり病に導かれ[その47]の続き)
「肺炎ではありませんね、トンミーさん」
ドクトル・マリコは、老患者にレントゲンの結果を伝えた。
「ほうかいねえ」
高熱でぐったりし、目も虚ろなビエール・トンミー氏が発したその言葉に、ドクトル・マリコは、思わず声が出た。
「え?!」
しかし、老患者は、両肩を落とし、項垂れ、椅子に座っていた。
「(今のは広島弁?)」
自身は東京で生まれ育ったので、話せないが、祖父の言葉はコテコテの広島弁であった為、広島弁のリスニングはできた。
「(この爺さん、広島出身なのかしら?)」
ビエール・トンミー氏は、広島出身ではないが、中学・高校という多感な時期を広島で過ごしたことをドクトル・マリコは知る由もない。
「トンミーさん、広島出身ですか?」
ドクトル・マリコは、思い切って訊いてみた。
「はあ?」
老患者は、口をだらしなく開けた。
「先程、広島弁を…」
「ええ!ボクは、広島弁なんて使いません!」
項垂れていた老患者が、急に頭を上げ、強い口調で云い切った。眼の前の女医が広島に縁があることを、その縁から医者の道を選んだことをビエール・トンミー氏も知る由もなかった。
「あら、失礼…」
ドクトル・マリコは、眼を伏せた。
「いえ、すみません」
ビエール・トンミー氏も慌てた。
「ボク、広島出身ではありませんから広島弁は使いませんが、いや、使えませんが、中学・高校時代は広島に住んでいたんです。牛田中学出身です」
何故か、広島皆実高校出身であることは云わなかった。
(続く)
0 件のコメント:
コメントを投稿