(うつり病に導かれ[その36]の続き)
「『フィンランディア』って曲、知ってる?」
友人が妙なことを訊いて来た。広島市の翠町公園(今は、翠町第二公園というらしいが)の東側の道を北上し、更に、突き当りの角を左折し、次の道角を今度は右折した道路の突き当たりにある煉瓦造りの古い建物があり、その前にあるドブ川が沿っていき、しばらくして右折する。
「知ってるけど」
ビエール・トンミー氏は、友人の質問の意図をはかりかねがら答えた。
「『新世界』って曲、知ってる?」
友人のエヴァンジェリスト氏は、また妙なことを訊く。
「ブラスバンドで演奏した『フィンランディア』も『新世界』もつまらなかったけど、ブラスバンドで友だちにコブラツイストをかけるのが楽しみだったんだ。窓の向こうの教室に『パルファン』子さんが見えるからね」
(参照:ハブテン少年[その113])
右折した通りにも、煉瓦造りの古い建物は続いていた。それは、『被服廠』であった(正式には『被服支廠』らしいが、当時、地元では『被服廠』と呼んでいた)。
友人が、小学5年生の時に好きだった女の子、小学6年生の時に好きだった女の子、中学1年の時に好きだった子に続けて、今度は、彼が中学2-3年の時に好きだった『パルファン』子さんのことを聞かされながら、沈黙する『被服廠』のすぐ横を歩きつつ、
「ふうん、そうなんだ」
と、ちゃんと返事はしたのは、エヴァンジェリスト少年が唯一人の友人であったからだ。
「(そうだ。今もそうだが、ボクには友人は殆どいない。アイツだけが友人だ。だから、毎日、牛田からわざわざ青バス(広電バス)に乗って、中国自動車学校前まで行き、翠町中学の東側の道を北上し、翠町のアイツのウチまで行き、一緒に皆実高校まで通学するようにしたのだ、あの頃は…….ん?)」
目を閉じたまま、ビエール・トンミー氏は、首を捻った。
「……ふうう……」
と、開いたドアから、よろけるような息が漏れ出してきた。
「ああ、まだ苦しいわあ」
(続く)
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