『少年』は、その年(1969年)、猛烈な人気となっていたグループ・サウンズの『ザ・タイガース』のボーカルの沢田研二が、どうして『ジュリー』であるのか分らなかったが、そんなことではハブテン少年ではあったのだ(そもそもハブテルことでもなかった)。
だって、ハブテルと、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と母親に叱られるのだ。
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(ハブテン少年[その112]の続き)
「ボクと付き合ってくれないか?!」
と、『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)の1学年下の女子生徒に自らの意思で告白し、
「やりません」
と、担任の『オーカクマク』先生に、生徒会長になることについて、母親に相談することもなく、これも自らの意思で断りを入れたエヴァンジェリスト少年は、この2年生の頃から、『ハブテン少年』ではなくなっていっていた。
そして、3年生となったエヴァンジェリスト少年は……
「カモーン、ギブアップ!?」
友人で同じブラスバンド部(吹奏楽部)のジャスティス君をコブラ・ツイストで締め上げていた。
「うっ!」
ジャスティス君は、歯を食いしばる。
「カモーン!カモーン!」
更に捻りあげる。
「うっ、うっ!」
ジャスティス君は、躰だけではなく、顔も歪む。
「カモーン、ギブアップ!?」
『ミドリチュー』の音楽室の入り口前のスペースであった。
3年生になり、最上級生となった今、怖いものはなく、ブラスバンドの練習を抜け、しかし、さすがに他の部員たちが練習をしている音楽室ではまずかろうと、音楽室の入り口前で、ジャスティス君を相手にプロレスごっこをしていたのだ。
「カモーン!カモーン!」
渾身の力で、しかし、最後の一線を超えない、プロレス的な力でジャスティス君をコブラツイストで締め上げる。
(続く)
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