『少年』は、その年(1969年)、猛烈な人気となっていたグループ・サウンズの『ザ・タイガース』のベース担当の岸部修三が、魔法使いの少女でもあるまいし、どうして『サリー』であるのか分らなかったが、そんなことではハブテン少年ではあったのだ(そもそもハブテルことでもなかった)。
だって、ハブテルと、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と母親に叱られるのだ。
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(ハブテン少年[その115]の続き)
「おー!ギブアップ!ギブアップ!」
唾を飛ばしながら、エヴァンジェリスト少年は、ギブアップをした。『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)の音楽室の入り口前のスペースである。
「ふうう……..」
コブラ・ツイストをかけていたジャスティス君の方が、ため息を漏らす。
「今度は、卍固めをかけようか?」
エヴァンジェリスト少年は、プロレスに関しては、飽きることを知らない。
「『アントニオ・スペシャル』だよ」
そうだ、前年(1968年)の暮れに、アントニオ猪木が初めて公開した技だ。エヴァンジェリスト少年は、その新技を友人で同じブラスバンド部(吹奏楽部)のジャスティス君にかけようとしたのだ。しかし……
「(『横肩車』の方がいいと思うんだけどなあ….英語で云うと『クロス・オーバー・ホイール』だ!)」
テレビ局による猪木の新技の名称の公募に、和名『横肩車』、英語名『クロス・オーバー・ホイール』と自らがハガキに書いて送ったことは、誰にも云っていなかった。
「うーん…..そろそろ…..」
ジャスティス君は、俯き、視線を音楽室に送った。そこでは、ブラスバンドの練習が続いていた。
「ペラペーラーッララーッ」
「ポロポーッポポポーポーッ」
「ドド、ドドドドドンドンドンドーン」
「あ…..ああ……」
ジャスティス君は、好きでブラスバンドに入ったのだ。トロンボーンを吹きたかった。でもプロレスも好きだし、友としてエヴァンジェリスト少年も大事にしたかった。だから、プロレスごっこに付き合っていたが、そろそろトロンボーンを吹きたかった。
「あ、そおお…….」
エヴァンジェリスト少年は、残念そうであった。ジャスティス君と違い、ブラスバンドには興味はなかった。ブラスバンドの顧問のムジカ先生に、
「明日から、お前、ブラスバンドに入れ」
と云われたから入部しただけなのだ。
(続く)
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