『少年』は、当時(1967-1969年頃)、人気となっていたグループ・サウンズの一つである『ザ・カーナビッツ』のヒット曲『好きさ好きさ好きさ』という曲のどこがいいのか分らなかったが、そんなことではハブテン少年ではあったのだ(そもそもハブテルことでもなかった)。
だって、ハブテルと、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と母親に叱られるのだ。
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(ハブテン少年[その130]の続き)
「おい!エヴァ!」
プール掃除を終え、『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)のプールの男子更衣室で制服を着ていると、入口の扉が開き、声を掛けられた。
「ちょっと、先生の部屋に来い」
エヴァンジェリスト少年は、体育教師のパンヤ先生に呼ばれたのだ。
「は?はい」
とは答えたものの、訝かしかった。
「(何だ?何の用だ?怒られるようなことはしていないし….)」
実際、パンヤ先生に怒っている様子はなく、むしろ『来い』という命令調の言葉の声音は、なんだか優しささえ感じさせるものであった。
「…失礼しまーす」
着替えを終えると、恐々と体育の教員室の扉を開けた。
「おー、そこに座れ」
「あ、はい….」
「お前に頼みがあるんじゃ」
普段、強面のパンヤ先生は、文字通りといっていいであろう満面の笑みを浮かべて云った。
「夏休みにのお、1年生の臨海教室があるじゃろ」
「はい….」
自分も1年生の時に参加したことはあるが、小学生の頃、水泳の授業で理不尽な扱いを受けたことから、水泳に関わることにはトラウマがあり、臨海学校にもいい思い出はなかった。
「お前、臨海学校の助手やってくれんか?」
「えっ!」
「助手やれえや」
パンヤ先生の言葉は、声音は優しいままであったが、『頼み』から『命令』に変っていた。
「いやあ……」
エヴァンジェリスト少年は、もう、ただ言いなりになる少年ではなかった。
「ボクと付き合ってくれないか?!」
と、親に相談することもなく、もう、自らの意思で『パルファン』子さんに告白をした経験を持っているのだ。それに、
「(無理だ)」
嫌であるかどうか以前に、水泳を得手としない自分が助手になんかなれる訳がない、と思った。
「まあ、ええけえ。やれ!ええのお」
「いやあ……」
もう、すんなり『はい』と云う少年ではないのだ。だが……
「帰って、お母さんに云うとけ」
PTAの顔役でもあるハハ・エヴァンジェリストは、パンヤ先生もよく知っているのだ。
(続く)
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