2019年12月27日金曜日

ハブテン少年[その131]




『少年』は、当時(1967-1969年頃)、人気となっていたグループ・サウンズの一つである『ザ・カーナビッツ』のヒット曲『好きさ好きさ好きさ』という曲のどこがいいのか分らなかったが、そんなことではハブテン少年ではあったのだ(そもそもハブテルことでもなかった)。

だって、ハブテルと、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と母親に叱られるのだ。


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「おい!エヴァ!」

プール掃除を終え、『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)のプールの男子更衣室で制服を着ていると、入口の扉が開き、声を掛けられた。

「ちょっと、先生の部屋に来い」

エヴァンジェリスト少年は、体育教師のパンヤ先生に呼ばれたのだ。

「は?はい」

とは答えたものの、訝かしかった。

「(何だ?何の用だ?怒られるようなことはしていないし….)」

実際、パンヤ先生に怒っている様子はなく、むしろ『来い』という命令調の言葉の声音は、なんだか優しささえ感じさせるものであった。

「…失礼しまーす」

着替えを終えると、恐々と体育の教員室の扉を開けた。

「おー、そこに座れ」
「あ、はい….」
「お前に頼みがあるんじゃ」

普段、強面のパンヤ先生は、文字通りといっていいであろう満面の笑みを浮かべて云った。

「夏休みにのお、1年生の臨海教室があるじゃろ」
「はい….」

自分も1年生の時に参加したことはあるが、小学生の頃、水泳の授業で理不尽な扱いを受けたことから、水泳に関わることにはトラウマがあり、臨海学校にもいい思い出はなかった。




「お前、臨海学校の助手やってくれんか?」
「えっ!」
「助手やれえや」

パンヤ先生の言葉は、声音は優しいままであったが、『頼み』から『命令』に変っていた。

「いやあ……」

エヴァンジェリスト少年は、もう、ただ言いなりになる少年ではなかった。

「ボクと付き合ってくれないか?!」

と、親に相談することもなく、もう、自らの意思で『パルファン』子さんに告白をした経験を持っているのだ。それに、

「(無理だ)」

嫌であるかどうか以前に、水泳を得手としない自分が助手になんかなれる訳がない、と思った。

「まあ、ええけえ。やれ!ええのお」
「いやあ……」

もう、すんなり『はい』と云う少年ではないのだ。だが……

「帰って、お母さんに云うとけ」

PTAの顔役でもあるハハ・エヴァンジェリストは、パンヤ先生もよく知っているのだ。


(続く)



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