『少年』は、当時(1967-1969年頃)、人気となっていたグループ・サウンズの一つである『ザ・ジャガーズ』のヒット曲『君に会いたい』という曲のどこがいいのか分らなかったが、そんなことではハブテン少年ではあったのだ(そもそもハブテルことでもなかった)。
だって、ハブテルと、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と母親に叱られるのだ。
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(ハブテン少年[その131]の続き)
「(ほうじゃ、家に帰って、お母ちゃんに云わんといけん!)」
広島弁を嫌い標準語を喋るようになっていたエヴァンジェリスト少年であったが、心の中ではあるものの、思わず広島弁になっていた。
「助手やれえや」
と、『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)の体育教師であるパンヤ先生に、1年生の臨海学校の助手をするように云われたのだ。
「(嫌だし、無理だ)」
と思ったが、パンヤ先生は、嫌も無理も我関せず、なのだ。ただ、
「帰って、お母さんに云うとけ」
とは云った。その言葉に、問題解決の糸口があると思った。親に頼るようなことはしたくなかったが、『力』には『力』で対抗するしかないと考えた。それは、自分のポリシーとは違ったが、この際、仕方ないと考えた。
「(お母ちゃんなら、なんとかしてくれる)」
母親は、家庭でも、そして役員をするPTAでも『力』を持っていた。
だから、
「お母ちゃん、パンヤ先生がね……」
母親に事情を告げた。
「ほうかいねえ。ええけえ、お母ちゃんがパンヤ先生に云うたげる」
行動力の塊のようなハハ・エヴァンジェリストは、すぐに翌日、『ミドリチュー』に行った。
(続く)
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