2017年9月11日月曜日

見てはいけないもの(その7)[M-Files No.1 ]




1966年10月2日(日)、広島市立皆実小学校の運動会の日、西に2つある校舎と校舎との間の皆実小学校の小さな建物の中で、昼休みに『事件』が起きたのであった。






皆実小学校の運動会は、『棒倒し』や『だるま運び』等の競技がどんどん執り行われ、昼休みとなった。

昼食は、休日なので給食ではなく、弁当であった。弁当は、児童たちは、運動場の家族席で自分の家族と摂る。

テントの下で、両親と茣蓙に座っての弁当は、特別感があり、弁当が美味い。

その『少年』は(6年生の児童だ)、小心者であったが、同時に調子者でもあった。普段は、親に怒られはしないかと常に怯えていたが、自宅でも来客がある等、特別なイベントがあると、途端に羽目を外すところがあった。

運動会での家族席のテント下での弁当は特別なイベントであり、『少年』は、羽目を外した。

弁当をあっという間に平らげた。まだ空腹感があることを母親は察し、

「あんた、これ、食べんさい」

と自分のおむすびを2つ、息子に与えた。

『少年』は、追加のおむすび2つも一気に、胃の中に押し込んだ。

それがいけなかった。

『少年』は催したのだ。

「マズイ!」

『少年』は思った。『大』の方だ。『大』は、学校でしたくない。自宅の便所以外で『大』はしたくなかった。

『少年』は、『大』をする時、ズボンだけでなくパンツも完全に脱ぎ去り、下半身丸裸でしゃがむのだ。

自宅では、便所に入る前に下半身丸裸になるが、学校ではそうはいかない。

便所の個室の中でズボン、パンツを完全に脱ぎたくない。脱いだものをどこに置けばいいのだ。学校の便所は綺麗とは云い難かった。特に、個室の中の床は濡れており、そんな所にズボンもパンツも置きたくはない。

便所は、汲み取り式で臭い。それも嫌であった。1960年代の日本は(少なくとも広島では)、自宅の便所も汲み取り式であった。しかし、自宅の便所の穴の中にあるモノは、自分と家族とのものだけだ。

しかし、学校の便所の穴の中にあるモノは、色々な奴の物が入っているのだ。そう思うと、自宅の便所以上に臭い、というか、汚穢に塗れている感じがしたのだ

だから、『少年』は、『大』は、学校でしたくなかった。

だが、その日、『少年』の校門、いや、肛門は『限界』に達した。

「便所行ってくるけえね」



『少年』は、両親にそう云い残すと、『便所棟』に猛烈なスピードで走って行ったのであった。


『便所棟』は、西に2つある校舎と校舎との間の小さな建物である。



(続く)





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