幼き日のエヴァンジェリスト氏(エヴァンジェリスト君)が通う『広島市立皆実小学校』は、児童数がとてもとても多い超マンモス校であった。
当時、各学年9クラスあったが、1966年、児童数が更に増え、6年は1クラス増えた。
そのせいで、6年になる時にクラス替えがあり、エヴァンジェリスト君は、5年4組からに6年10組になった。
悲しかった。6年10組になった時には、悲しかった。それは........
1965年春である。そう、6年になる際にクラス替えのあった前年である。
翠町公園の横を、赤いランドセルを背負った女子児童が歩いていた。
スキップをしている訳ではないのに、フワフワと浮くような軽やかな足取りであった。
ランドセルの横には、青い袋に入った縦笛がアンテナのように刺さっていた。
その赤いランドセルの女子児童の後方20mくらいのところを、整った顔立ちながら、表情に少し陰のある男の子(児童)が、前方を窺いながら歩いていた。
小学校高学年と見えるその男の子の顔をビエール・トンミー氏が見たら、云ったであろう。
「このゲス野郎!君は子どもの頃からゲスだったのか」
そう、男の子は、エヴァンジェリスト君であった。5年生になったばかりのエヴァンジェリスト君であった。
(続く)
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