白眼の中に黒眼があることがはっきり見て取れた。両眼共に、大きく見開いていた。
虹彩の中、瞳孔も拡がり、それが、少女の軀の状態を示していた。
『少女』の軀は固っていた。その場に立ちすくんでいた。
小学校4年生の女子児童には、辛すぎる状況であった。
1966年10月9日、広島市立皆実小学校4年生のある女子児童は、見てはいけないものを見てしまったのであった……..
(参照:見てはいけないもの(その4)[M-Files No.1 ]の続き)
『少女』は、『少年』を知らなかった。
広島市立皆実小学校は、全児童が、お互いがお互いを知っているということはなかった。『マンモス校』であったからだ。
いや、広島市立皆実小学校は、『マンモス校』というよりも、『超マンモス校』だった。
1966年の頃、1クラス40人余りの児童がいた。そして、各学年は、ほぼ9クラスあったので、2200-2300名の児童が皆実小学校にはいたのだ(今は、700人程度のようなので、今の3倍くらいの児童数であったのだ)。
『少年』は、担任の先生から、
「皆実小学校は、(児童数が)全国3位だ」
と聞いていた。
そんな『超マンモス校』なので、『少年』の方も『少女』を知らなかった。
いやいや、『少年』も『少女』も、その時、互いを知っているとも知っていないとも認識する状況、状態では全くなかった。
その日、1966年10月2日は、日曜日であり、広島市立皆実小学校の運動会の日であった。
運動会の日、『少女』は、見てはいけないものを見てしまったのであった……..(運動会の日とはいえ、学校入口に綿菓子屋が店を開いていたのを見た、ということではない)
(続く)
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