1966年のこと、広島市立皆実小学校6年生たちは、戸惑った。
同じ6年生のエヴァンジェリスト君が、やはり6年生のイダテン君と同タイムの50m走「6.9秒」という驚異的な記録を出したのだ。
スポーツ万能であったイダテン君に対し、エヴァンジェリスト君は、勉強は万能であったが、スポーツは万能ではなかったからである。
見てはいけないものを見てしまったのだ。
エヴァンジェリスト君は、スポーツ劣等生であった。しかし、エヴァンジェリスト君にも『言い分』はあった。
水泳では、25mを泳ぎきることはできなかったが、小学3年まではむしろ水泳は得意であったのに、ある時、バタ足の競泳で隣の子とぶつかり、足をついてしまうという『事故』が、エヴァンジェリスト君を水泳を嫌いに、苦手にしてしまった。
足をついたのは隣の子とぶつかったからなのに、それを見ていなかった先生から、
「おい、エヴァ!なんだよ、お前。そのくらいしか泳げないのに、なんで3本線なんだあ!」(水泳帽の3本線は、まずまずの等級の印であった)
と云われてしまったのだ。それがトラウマになったのだ。
エヴァンジェリスト君は、住んでいる町内(翠町)の小学生ソフトボール・チームでは、控えの投手兼9番ライトであった。『ライ9』であった。
しかし、ただの『ライ9』であった訳はなかったのだ。
(参照:見てはいけないもの(その3)[M-Files No.1 ]の続き)
エヴァンジェリスト君が、『ライ9』であることは妥当であった。
守備機会は殆どなかったが、稀にフライが飛んでくると、万歳をして後ろに球をそらすのが常であった。
その度に、チーム・メイトと応援の家族たちから、ため息が漏れた。
しかし、エヴァンジェリスト君はフライの捕り方を教えてもらっていなかったのだ。
フライは、体の前で捕球しないといけない。しかし、そんなことは誰も教えてくれなかった。なまじ足の速いエヴァンジェリスト君は、フライに対し敏捷に反応し、フライの球にあっという間に追いつくのだ。つまり、球の真下まで行ってしまうのだ。
そうすると、頭上で捕球することとなり、万歳状態となり、球はエヴァンジェリスト君の頭上を通り過ぎていくのだ。
後年、フライは、体の前で捕球しないといけない、と教えてもらってからは、フライの球を万歳をして後ろに逸らすことはなくなった。
理論をきちんと教えてもらっていれば、守備が下手であることはなかったのだ。
尤も、他の子たちも、今時と違い、野球理論を教えてもらうことはなかったのに、エヴァンジェリスト君のような守備はしていなかったので、エヴァンジェリスト君の言い分も妥当とは言い難いかもしれない。
打撃についても理論を教えてもらっていなかったからだ、とエヴァンジェリスト君は云う。
目を球から離さず、つまり球をよく見てバットを振らないとならないのに、そんなことは知らない(教えてもらっていない)エヴァンジェリスト君は、投手が球を投げたら、それがどんな球であれ、思い切りバットをスイングさせた。
ストライクであろうとボールであろうと、総ての投球に対して、思い切りバットをスイングさせた。それも、球なんか見ることなく、である。
だから、バットが球に当たる訳がない。殆どの打席が、3球3振だ。
※ 写真と本文とはあまり関係ありません。
後年、目を球から離さず、つまり球をよく見てバットを振らないと知ってからは、エヴァンジェリスト君はむしろ強打者となった。長打さえ打てるようになった。
或いは、足の速さを活かそうと、セイフティ・バントを試みることも多かった。その為に、右打者であったエヴァンジェリスト君は、左打席に立つようにもなった。スイッチ・ヒッターである。
既に皆さん、ご存じの通り、エヴァンジェリスト君の足はとにかく速い。だから、セイフティ・バントはほぼ100%成功する。
という次第なので、エヴァンジェリスト君は、小学生の頃、打撃がダメだったのも守備と同様、理論をきちんと教えてもらっていなかったからだ、と主張する。
しかし、それも守備の場合と同じで、他の子たちも、今時と違い、打撃理論を教えてもらうことはなかったのに、エヴァンジェリスト君のような打撃はしていなかったので、エヴァンジェリスト君の言い分も妥当とは言い難いと思う。
ただ、『ライ9』のエヴァンジェリスト君も、小学生当時、試合でチーム・メイトや応援の家族たちをどよめかせたことがあった。たった一度だけだけれども、周囲の者たちを感嘆させたことがあったのだ。
それは、広島市の小学生ソフトボール大会であった。
『ライ9』のエヴァンジェリスト君はチームのお荷物であったが、チーム自体は強豪であった。
予選を順調に勝ち上がって行った。幸いに、ライトに球は一度も飛んでこなかった。エヴァンジェリスト君の打席はいずれも3球3振であったが、それでも、チームは、決勝まで勝ち進んだ。
そして、決勝も僅差の勝負となっていた。
しかし、後攻のエヴァンジェリスト君のチームは、9回の表までで『1-3』で負けていた。
9回裏、ヒットは出ず、2アウトまできた。
さて、そこでバッター・ボックスに立ったのは、我らがエヴァンジェリスト君である。
観客席は沈み込んだ。ベンチでは皆、俯いていた。
だって、バッターは、3球3振しかしないエヴァンジェリスト君なのだ。勝負は見えている。
そして、皆の予想通り、エヴァンジェリスト君は、思い切りだけはいいスイングで空振り2回、2ストライク・0ボールとなった。
観客席の人たちも帰路につくべく、腰を浮かせ始めた。
その時である。その時、奇跡が起きた!
3球目が投げられた。エヴァンジェリスト君はまた、球を見ることもなく、また思い切りスイングした。
勿論、球がバットに当たることはなかった。
「やっちまった。まあ、いつも通りだが」
とエヴァンジェリスト君が思った時、
「ワアー」
という歓声が起きた。
エヴァンジェリスト君は周囲を見回した。
「走れ!」
という声がベンチから飛んだ。キャッチャーが球を後逸したのだ。
エヴァンジェリスト君は一塁に向け、突進した。
速い!
振り逃げだ。エヴァンジェリスト君は、悠々セーフとなった。
観客席は盛り上がった。腰を浮かせ始めていた人たちも再び、椅子にお尻をつけた。
次の打者がバッターボックスに立った。
投手が第1球を投げた。
その瞬間、エヴァンジェリスト君が二塁に向け、猛突進した。
盗塁だ!
盗塁のサインが出ていたわけではない。1960年代の子供ソフトボールでは、サインなんかそもそもなかったし、仮にサインがあったととしても、野球理論なんて全く持ち合わせないエヴァンジェリスト君は、サインを見ることはなかったであろう。
二塁に向け、猛突進したエヴァンジェリスト君は、これも悠々セーフであった。
エヴァンジェリスト君は猛烈に速かったのだ。捕手は、二塁に送球することもなかった。捕手は、9回の裏、2アウトでまさか盗塁するとは思っていなかったであろう。それに、走者は、『ライ9』の子だ。スポーツ音痴な少年なのだ。
観客席もベンチも更に盛り上がった。
相手チームは呆然としていた。
「なんだ、アイツは」
という目で二塁ベース上に立つエヴァンジェリスト君を見た。
エヴァンジェリスト君は、胸を張った。そして、いい気になった。
投手は、第2球を投げた。
その時、またまた、まさかなことが起きた。
エヴァンジェリスト君が、三塁に向け、猛突進したのだ。
また盗塁だ!
今度も、エヴァンジェリスト君は猛烈に速かった。捕手は、やはり三塁に送球することもなかった。
悠々セーフであった。
観客席もベンチも更にどよめいた。
三塁ベース上でエヴァンジェリスト君は、更に胸を張っていた。
そのままだと本盗もしかねない状況、雰囲気であった。
そして、投手は第3球を投げた。
エヴァンジェリスト君は、今度は、本塁に向け、猛突進した。
しかし、今度は事情が違った。
バッターが打球を打ち返したのだ。打球は、三遊間に転がり、レフト前に抜けた。
レフトが捕球する頃には、エヴァンジェリスト君はとっくにホームを駆け抜けていた。
大歓声だ!『2-3』となった。
9回裏、2アウト、2ストライク・0ボールからの大反撃であった。
こんなことがあるのか!エヴァンジェリスト君が起こした奇跡であった。
この後、次の打者がアウトとなり、エヴァンジェリスト君のチームは、結局は負け、準優勝で終ったが、チームも応援の人たちも大満足であった。
驚異の粘りを見せたのだ。
あの『ライ9』のエヴァンジェリスト君が、『奇跡』を起こしたのだから。
しかし、冷静に見ると、それは捕手の後逸があったからであり、通常で云うと、2度の盗塁は無謀であったであろう。
1966年当時、エヴァンジェリスト君が、スポーツ劣等生であったことに変りはないのだ。
だから、エヴァンジェリスト君が、50m走で「6.9秒」という記録を出し、それが、スポーツ万能のイダテン君と同タイムであったことに、広島市立皆実小学校6年生の子供たちは、戸惑ってしまったのだ。
広島市立皆実小学校6年生の子どもたちは、見てはいけないものを見てしまったのである。
そして、その1966年、広島市立皆実小学校4年生のある女子児童も、見てはいけないものを見てしまったのであった……..
(続く)
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