1965年春。
広島市翠町にある翠町公園の横を、赤いランドセルを背負った女子児童が歩いていた。
スキップをしている訳ではないのに、フワフワと浮くような軽やかな足取りのその女子児童の後方20mくらいのところを、整った顔立ちながら、表情に少し陰のある男の子(児童)が、前方を窺いながら歩いていた。
ビエール・トンミー氏が見たら、云ったであろう。
「このゲス野郎!君は子どもの頃からゲスだったのか」
そう、男の子は、エヴァンジェリスト君であった。5年生になったばかりのエヴァンジェリスト君であった。
その年(1965年)、『広島市立皆実小学校』の5年生になったエヴァンジェリスト君は、清々しい気分であった。それまでの『悍ましいこと』が、クラス替えで払拭されたように思えたのだ。
どんな『悍ましいこと』があったのかは、いずれ記すことになるかと思うが、ここではエヴァンジェリスト君の清々しい気分そのままに一旦、忘れよう。
エヴァンジェリスト君が気分が良かったのは、『悍ましい』思い出を消しされると思ったからだけではなかった。
エヴァンジェリスト君は、自分のクラスで(5年4組であった)、これまでに経験のない自分の気持ちに戸惑っていた。
その頃、宇部市の琴芝小学校で、既に『鶏』を相手に『ヘンタイ』の片鱗を見せていたビエール・トンミー君とは違い、エヴァンジェリスト君は、初心(うぶ)であったのだ。
1年生、2年生の時も好きな子はいた。近所に住むワタ子ちゃんであった。7-8歳ながら、自分はワタ子ちゃんと結婚するんだ、と思っていた。結婚というものがどういうものかは知らなかったが、ワタ子ちゃんと結婚するんだ、と思っていた。相手をワタ子ちゃんと想定したのは、ただただ、一番、身近な子であったからだ。ワタ子ちゃんは近所に住んでおり、親同士も親しかった。
3年生、4年生の時も好きな子はいた。サン子ちゃんであった。何故か、無理にでも、どの子(娘)か好きにならないという思いがあり、クラスで一番可愛かったサン子ちゃんを好きになることにしたのであった。
つまり、小学校入学以来、常に好きな子はいたのだが、それはまだ『恋』と呼べるものではなかった。
ワタ子ちゃんもサン子ちゃんも、好きになることにしただけの相手であったからだ。
しかし、5年でクラス替えとなり、4組の教室に入った時、そこには、それまで『皆実小学校』で見たことにない子(女子)がいた。
エヴァンジェリスト君が、『赤毛のアン』を読んでいたなら、『赤毛』ではないが、まるで『アン』のような子だと思ったであろう。
それまでの11年の人生で会ったことのない女子だったのだ。
エヴァンジェリスト君は、その子を『好き』になった。いや、それは、それまでの『好き』とは違っていた………
(続く)
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