『広島市立皆実小学校』6年10組のエヴァンジェリスト君は、新たな『妻』を迎えようとしていた。
5年4組の時、妄想の中で『妻』としていた同じクラスの『帰国子女』子ちゃんとクラス替えで離れ離れになって(『結婚生活』が破綻して)間もないというのに、『東京』の『川崎』というところから転校してきた和風美人『トウキョウ』子さんを新たな『妻』としようとしていたのである。
しかし、エヴァンジェリスト君の夢想する『結婚生活』の実態は、純なものであった。
『結婚』しているのに、手も握らないのだ。小学生6年のエヴァンジェリスト君にとって、『結婚』とは、好き合った男女が一緒に暮らす、ただそれだけのものであったのだ。
しかし、その小学生らしい妄想を打ち砕く奴がいた。
1966年、春の遠足であった……….
エヴァンジェリスト君と、彼が属する6年10組のクラスのみんなは、ヒロデン(広島電鉄)の貸切バスに乗っていた。
春の遠足だ。
子供たちは、浮かれまくっていた。
先ず、弁当だ。これがいい。普段は、給食であった。今の給食は知らないが、当時の給食は、美味しいとは云えなかった。
食器はアルミだ。使い古しで傷だらけのアルミ食器で出される食事は、餌を与えられている感じのものであった。
飲み物は、脱脂粉乳だ。これが不味い。健康にいいとかなんとか云われていたようだが、不味いものは不味い。
給食のパンも味気ないものであった。それが、『コッペパン』というものであったことをエヴァンジェリスト君は後年知り、驚いた。広島では、『コッペパン』は、他の地域で云う『メロンパン』であったからだ。給食パンが、『コッペパン』(つまり、広島人にとっては『メロンパン』)であったなら、どんなに良かったであろうか、とエヴァンジェリスト氏は思った。
おかずは、時々、焦げていた。お焦げがあったのではなく、焦げた味になっており、とても喉を通すことができなかった。
給食で唯一、楽しみであったのは、『肝油』であった。肝油のドロップである。勾玉のような形をしていた。ゼリービーンズのような形と云った方がいいであろうか。
兎に角、給食は嫌であった。
しかし、遠足の日は、親に作ってもらった弁当を持参するのだ。甘い卵焼き等が入っているのだ。
そして、遠足の日は、お菓子を買って持参できるのだ。
遠足の前日、学校で決められた上限金額の100円をもらって、お菓子を買いに行くのが楽しみであった。エヴァンジェリスト君も近所の『ノマサン』の店にお菓子を買いに行くのが、極上の楽しみであった。
そうして、遠足の貸切バスの中で、リュックサックに、楽しみな弁当とお菓子を入れ、6年10組のクラスの子供たちは、浮かれていたのだ。
「アタリマエダのクラッカー!」
「シェーッ!」
男子児童たちは、殆ど何の脈絡もなく、流行りのギャグを飛ばしていた。
エヴァンジェリスト君も家では、そんなギャグを飛ばしまくっている普通の子であったが、その貸切バスの中では、同級生たちのギャグに愛想笑いをするだけであった。
どうしたのか?お腹でも痛いのか?
愛想笑いをしながら、エヴァンジェリスト君の視線は、ずっと、『妻』を捉えていた。4-5列前の席に座り、隣の女子と何かを話している『トウキョウ』子さんを凝視めていたのだ。
『妻』が何を話しているのか聞こえなかったが、話している言葉が標準語であることは分っていた。何しろ、『妻』は、『東京』の『川崎』というところから来たのだ。
『東京』では標準語を喋っているのだ。
そして、標準語は、美しかった。うーむ、正確には、標準語が美しかった、というよりも、広島弁は汚かった。エヴァンジェリスト君にとっては、広島弁は汚かった。
エヴァンジェリスト氏は、広島を離れて45年経つ今でも(2017年だ)、広島東洋カープを応援し、お好み焼きといえば、関西風のものではなく、広島のお好み焼きがお好み焼きだと思う『広島人』であるが、広島弁は好きではなかった。
その汚い広島弁を女の子たちも使うのだ。
「ちゃんとしんさいやあ」
なんて言葉を聞くと、どんなに顔の綺麗な子でも好きになることはできなかった。
しかし、『トウキョウ』子さんは、標準語を喋るのだ。汚い広島弁を使わないのだ。
エヴァンジェリスト君が、『トウキョウ』子さんに『恋』するようになった要素の一つに言葉があったかもしれない。『帰国子女』子ちゃんを『妻』にした理由にも、言葉があったのかもしれない。『帰国子女』である『帰国子女』子ちゃんも勿論、広島弁は喋らなかったのだ。使っていたのは、標準語であった。
「あら、そうなの」
貸切バスの前方席の『トウキョウ』子さんは、きっとそんなことを云っているのだろう。
広島の女の子なら、
「ええ、ほうなんかいねえ」
とでも云うところだ。それは美しくない。
「ヒジョーにキビシイーっ!」
「ガチョーン!」
男子たちは、『妻』を凝視め続けるエヴァンジェリスト君をよそに、更にギャグを飛ばしあっていた。
その時、一人の男子が、突然、訳の分らない言葉を発した。
「おー!おー!『くしゃれ緑』!」
………山口県宇部市の『琴芝小学校』の6年生のビエール・トンミー君が、2歳下の妹のクラスの女の子から憧れられていたのも、実は、言葉のせいもあったのかもしれない。
他の子たちが、
「ランドセルかるう」
と云うところを、ビエール・トンミー君は、こう云うのだ。
「ランドセルを背負う」
と。
妹のクラスの女の子が、ビエール・トンミー君に『恋』したのは、一には、彼の容姿だが、宇部の地元の子にとっては、彼の洒落た言葉遣いがあったかもしれない。
ビエール・トンミー君は、宇部の出身ではなかった。福岡の出身である。親の転勤で宇部に来ただけだ。
ビエール・トンミー君は、『東京』出身ではないので、当時、彼が使っていた言葉は実は、標準語ではなかったかもしれない。九州弁か、九州弁混じりの言葉であったかもしれないが、宇部の女の子には標準語を聞けたのだろう。
宇部の子でも、広島の子でも、標準語は美しく、標準語を喋る子は、どこか洒落ていたのだ。
しかし、ビエール・トンミー君に憧れる女の子は、その洒落た先輩男子が、自宅のベッドで『うつぶせ寝』にはまっていることは知らなかった。
『うつぶせ寝』をして、
「うーっ….」
と微かながら、唸り声を上げ始めていたことを知らなかった。
(続く)
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