1965年、『広島市立皆実小学校』の5年生になる時にクラス替えがあり、エヴァンジェリスト君が、自分のクラスの(4組の)教室に入った時、そこには、それまで『皆実小学校』で見たことにない子(女子)がいた。
エヴァンジェリスト君が、『赤毛のアン』を読んでいたなら、『赤毛』ではないが、まるで『アン』のような子だと思ったであろう。
それまでの11年の人生で会ったことのない女子だったのだ。
エヴァンジェリスト君は、その子を『好き』になった。いや、それは、それまでの他の女の子への『好き』とは違っていた……
その子の頬には、僅かに、そして、うっすらとソバカスがあった。『赤毛のアン』の『アン』のように。
ソバカスは、日本人としては珍しかったが、エヴァンジェリスト君は、ソバカス自体を知らなかった。
しかし、今からすると、どこか日本人離れしたものをその子に感じていたのだ。
そして、エヴァンジェリスト君のその感覚は正しかったのだ。やがてエヴァンジェリスト君は、そのことを知った。アメリカ帰りであったのだ。今でいう『帰国子女』である。
お父さんの仕事の関係でアメリカに行っており、帰国して、『皆実小学校』の5年4組に入ってきたのだ。
『帰国子女』子ちゃんが動くと周りに風が起き、何かいい匂いが漂うようであった。
エヴァンジェリスト君は、授業中もずっと後方席から『帰国子女』子ちゃんを見ていた。
家に帰ってからも、『帰国子女』子ちゃんのことが頭から離れなかった。
毎日、学校に行くのが楽しみであった。
しかし、やがて、ただ学校で『帰国子女』子ちゃんを見ていたり、自宅で『帰国子女』子ちゃんのことを思い浮かべているだけでは収まり切らない、えも云われぬ気持ちが生じてきた。
『恋』であった。
エヴァンジェリスト君のそれまでに経験のない気持ちは、『恋』であった。
ビエール・トンミー君が、宇部市の琴芝小学校で、『鶏』を相手に『戯れ』ていた頃、エヴァンジェリスト君は『初恋』をしたのだ。
まだ『くしゃれ緑』も知らず、『ウンギリギッキ』もしていなかったエヴァンジェリスト君には、その気持ちが『恋』であるという自覚はなかった。
しかし、その『収まり切らない』想いは、エヴァンジェリスト君に、ある『行動』を取らせたのであった。
(続く)
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