1965年、『広島市立皆実小学校』のまだ5年生であったエヴァンジェリスト君が、同級生の『帰国子女』子ちゃんからもらったピンクの封筒、その中に入っていたのは、『ラブ・レター』ではなかった。
しかし、エヴァンジェリスト君の心を揺さぶるものではあった。エヴァンジェリスト君が11年の人生で初めて目にするものであった。
ピンクの封筒の中に入っていたものは、紙ではあったが、便箋よりも厚い紙であった。赤色をベースとした厚紙で、見たことのない文字が、デザインされたアルファベットが書いてあった。
「Merry Christmas」
とそこには書かれていたのだ。
まだ英語を習っていないエヴァンジェリスト君には、
「Merry Christmas」
が英語らしいことは分ったが、その意味は分らなかった。
しかし、その英語の下に、手書きの日本語が書いてあった。クリスマス・パーティーの案内であった。
クリスマスは、毎年、自宅でクリスマス・ケーキを食べ、ささやかなプレゼントをもらうだけで、クリスマス・パーティーなんてしたことも、行ったこともなかった。
だから、クリスマス・パーティーがどういうものであるのか、よくは分らなかったが、ときめいた。大いにときめいた。
何か楽しいことをするものなのだろうと思った。しかも、その楽しいことを『帰国子女』子ちゃんが自宅でするのに、自分を誘ってくれたのだ。
特別なことだ。クリスマス・パーティーのお誘いは、特別なことなのだ。
ピンクの封筒の中は、『好き』と書かれた手紙ではなかったが、エヴァンジェリスト君の心は揺さぶられた。
しかし、問題が一つあった。
「プレゼントを持ってきてね」
とあったのだ。
自分はお金を持っていないし(決して裕福ではなかったエヴァンジェリスト家では、子どもにお小遣いを渡していなかった)、プレゼントって何を持っていけばいいのか、分らなかった。
母親に相談するしかなかった。
ハハ・エヴァンジェリストは、喜んだ。エヴァンジェリスト君は、自慢の息子であった。3人の息子の中で、末っ子のエヴァンジェリスト君が一番ハンサムで、彼女の自慢であった。
その息子が、女の子からパーティーに招待されたのだ。ハハ・エヴァンジェリストは、嬉々としてプレゼントを用意し、息子にそれを持たせた。
かくして、エヴァンジェリスト君は、クリスマス・パーティー当日、ラッピングされた中身も知らずプレゼントを持ち、『帰国子女』子ちゃんの家に向かった。
ハハ・エヴァンジェリストに、少しおしゃれな服を着せられていた。
一方、宇部市の『琴芝小学校』の5年生であったビエール・トンミー君は、クリスマス・イブの日も『いきものがかり』であった。
『鶏小屋』で鶏の世話をした。女の子からクリスマス・パーティーのお誘いなんてなかった。ただ、毎年、クリスマスの日、目覚めると、枕元にサンタ・クロースさんが持ってきてくれた大きなプレゼントがあった。
しかし、ビエール・トンミー君は、知らなかった。クラスの女子たちの多くが、授業中も休憩時間も彼を凝視めていることを知らなかった。
ビエール・トンミー君はまだ、自分の美貌を知らなかった。
ビエール・トンミー君はまだ、女の子を『好き』になったことはなかった。エヴァンジェリスト君同様、『恋』というものは、その言葉を知らなかっただけでなく、『好き』という感情そのものを持つことがなかった。
『奥手』であったのだ。
しかし、『股間』だけは先に成長を始めていた。『鶏小屋』に入った時は勿論、『鶏小屋』を見ただけで股間には『異変』が生じていたのだ。
(続く)
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