エヴァンジェリスト君は、早く自宅に帰って、『帰国子女』子ちゃんからもらったピンクの封筒を開けたかった。開けて、中身を確認したかった。
「『好き』いうて書いてあるんじゃろうか?」
エヴァンジェリスト君は知らなかった。彼は、1965年、『広島市立皆実小学校』のまだ5年生であったのだ。
『くしゃれ緑』も『ウンギリギッキ』も知らない頃であったのだ。『帰国子女』子ちゃんに『恋』はしていたが、『好き』と言う自覚があるだけで、それが『恋』というものだとは知らなかった。
ましてや、『ラブ・レター』という言葉も知らなかった。
ピンクの封筒の中身は、うーむ、『ラブ・レター』ではなかった。
ピンクの封筒の中に入っていたものには、『好き』とは書いてなかったので、『ラブ・レター』ではないといえばその通りではあったが、『うーむ』と唸ってしまうものであった。
エヴァンジェリスト君の心を揺さぶるものではあったのだ。
それは、エヴァンジェリスト君が11年の人生で初めて目にするものであった。
帰宅し、
「ただいま」
と云うと、母親に顔を見せることもなく、直ぐに『子供部屋』に入っていった。
共に高校生である二人の兄たちはまだ帰宅しておらず、『子供部屋』はエヴァンジェリスト君一人であった。
エヴァンジェリスト君は、ランドセルを床に置くと、その中に入れておいたピンクの封筒を取り出した。
そして、軽く糊付けされたその封筒の、その糊付け部分に爪を立てた。『帰国子女』子ちゃんもらった封筒をハサミで開けるなんてことはできなかった。
自分の鼻息が荒くなっていることに気付かなかった。集中していたのだ。
集中して爪を立てた糊付け部分から、そっと封を開けた。
ピンクの封筒の中に入っていたものは、便箋ではなかった。
封筒に入っているものは、勝手に手紙だと思っていた。その手紙には、ひょっとすると『好き』と書いてあるかもしれない、と思っていたのである。手紙を書くのは、勿論、便箋だ。
しかし、ピンクの封筒の中に入っていたものは、紙ではあったが、便箋よりも厚い紙であった。赤色をベースとした厚紙であった。
『カード』である。
当時(1965年である)、『カード』を誰かに渡すなんて習慣は、一般にはまだなかった。少なくともエヴァンジェリスト君の周りではまだなかった。
だから、それは、エヴァンジェリスト君にとっては、『カード』ではなく、何だか綺麗な『厚紙』なのであった。
その『厚紙』には、見たことのない文字が、デザインされたルファベットが書いてあった。
「Merry Christmas」
とそこには書かれていたのだ。
その頃、ビエール・トンミー君も1枚の紙を自宅で見ていた。
ガリ版刷りの藁半紙であった。
表題には、『いきものがかり当番表』とあった。たわいのないものであった。
だが、その紙を見ただけで、ビエール・トンミー君の股間には『異変』が生じていた。
(続く)
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