2017年10月29日日曜日

【ゲス児童】『くしゃれ緑』な『ウンギリギッキ』(その31=最終回)[M-Files No.5 ]



『広島市立皆実小学校』6年10組の教室の横にあった体育用具準備室に入ったところで、エヴァンジェリスト君は、呆然と立ち尽くしていた

「ヒェーッ!」

という悲鳴と、

「ウンギリギッキ!ウンギリギッキ!」

という叫び声が、体育用具準備室の中で鳴り響いていた。

ヨシタライイノニ君が、ヒフノビ君に背後から抱きつき、股間をヒフノビ君の臀部に押し当て、腰を前後に振理、その腰の振りに合せて、

「ウンギリギッキ!ウンギリギッキ!」

と叫んでいたのだ。

ヒフノビ君は、

「ヒェーッ!」

という悲鳴を上げ、逃げて行ったが、ヨシタライイノニ君は、ヒフノビ君に腰からついて行き、腰を振りながら、繰り返した。

「ウンギリギッキ!ウンギリギッキ!」

1966年、日本の高度経済成長期の真っ只中の少年たちであった。






「ウンギリギッキ!ウンギリギッキ!」

ヨシタライイノニ君が始めたこの新流行は、6年10組の男子たちを虜にした。

休憩時間となると、6年10組の男子たちは、直ぐに6年10組の教室を出て、体育用具準備室に行った。そして、そこで、誰かれ構わず、背後から抱きつき、

「ウンギリギッキ!ウンギリギッキ!」

と腰を振った。

抱きつかれた方は、

「ヒェーッ!」

と、喜びに満ちた悲鳴を上げた。

『ウンギリギッキ!』が流行り始めた当初は、体育用具準備室の片隅で傍観していたエヴァンジェリスト君も、いつの間にか、

「ウンギリギッキ!ウンギリギッキ!」

と腰を振るようになっていた。ヒフノビ君に抱きつくことが多かった。

ヒフノビ君は、主に『ヤラレ役』であった。肌が異常に柔らかく、彼に抱きつくと気持ち良かった。

エヴァンジェリスト君が背後から抱きつかれることもあった。

ある時は、体操の得意なテツボウ君に襲われ、臀部に彼の股間をぐいぐい押し付けられた。

「ヒェーッ!」

エヴァンジェリスト君は、思わず悲鳴を上げた。悲鳴を聞くと、テツボウ君は、余計にガンガン股間を押し付けて来た。

「ヒェーッ!ヒェーッ!」

テツボウ君の股間が、やけに硬かった。『テツボウ』のように硬かった。だが、どうして、そんなに硬いのかと疑問を持つ暇もなかった。

「ヒェーッ!」

なんだか不思議な気持ちになって来たので、しかも、それは決して『快い』感じのものではなかったので、なんとかテツボウ君の『攻撃』を振り切り、走って逃げた。

自分は、やはり抱きつく方がいい、と思い、丁度、その時、空いていたヒフノビ君を見つけ、背後から思い切り、抱きついた。そして、思い切り、腰を振った。

「ウンギリギッキ!ウンギリギッキ!」

役柄をわきまえたヒフノビ君は、いつものように、

「ヒェーッ!」

と悲鳴を上げた。

「ウンギリギッキ!ウンギリギッキ!」

エヴァンジェリスト君は、腰を振り続けた。その時、『トウキョウ』子さんのことは、頭から消えていた。

『トウキョウ』子さんへの恋心がなくなった訳ではなかったが、それよりも『くしゃれ緑』『ウンギリギッキ!』に夢中になっていた。

『くしゃれ緑』が何であるかは分っていなかった。ただ、肌を露わにした女性の映画の看板から、触れてはイケナイことだが、そのイケナイことが何か甘美なもののように思えた。

『ウンギリギッキ!』もそれが何であるのか、全く分っていなかった。

ヨシタライイノニ君やテツボウ君は、『ウンギリギッキ!』が何を意味する行為か、多分、分っていたのであろう。だから、テツボウ君の股間は硬くなっていたのだ。

しかし、エヴァンジェリスト君は、級友たちに遅れてはならじと、

「ウンギリギッキ!ウンギリギッキ!」

と励むようになってはいたが、その行為の意味は、全く理解していなかった。

意味を理解していたら、妄想の中の『妻』である『トウキョウ』子さん『ウンギリギッキ!』を結び付け、エヴァンジェリスト君の股間は破裂していたことであろう。

だが、『くしゃれ緑』『ウンギリギッキ!』により、それまで純であったエヴァンジェリスト君は、『ゲス児童』への道を歩み始めたのである。

「ウンギリギッキ!ウンギリギッキ!」


1966年、太平洋戦争後、21年経ったその年、『広島市立皆実小学校』6年10組の教室の横にあった体育用具準備室は、『ゲス児童』たちの悦楽の園となっていた。

『ゲス児童』たちは知らない。

彼らが、『くしゃれ緑』と叫び、『ウンギリギッキ!』と腰を振って遊び回る地は、つまり、広島市の土地は、断面をとると、ところどころ白い層があるらしい、ということを『ゲス児童』たちは、知らなかった。

5000度という原爆の温度により人間の骨は原型を留めずパウダー状となったのだそうである。

広島市の土地の断面のところどころある白い層は、人骨である。

『ゲス児童』たちは、広島の子たちだ。原爆のことはよく知っていた。1966年当時は、まだしないで普通に体にケロイドを持つ人を見かけた。

『ゲス児童』たちは、多分、他の地域の子たちよりもずっと『戦争』なるものを知っていた。

しかし、『ゲス児童』たちは、『くしゃれ緑』と叫び、『ウンギリギッキ!』と腰を振っていた。彼らには、『戦争』はもうないものであった。

だが、『ゲス児童』たちが『くしゃれ緑』と叫び、『ウンギリギッキ』と腰を振っている地の下の人骨たちにとっては『戦争』は永遠に終わらないのだ。彼らの人生は、『戦争』により永遠に中断されたままであるのだ。彼らはただ普通に生活をしていたのだ。しかし、その生活は、自身の意思によらず、途切れさせられたのだ。

自らが『入市被爆者』(原爆投下後に広島市内に入り、放射線を被爆した人)であり、原爆により母と弟とを失い、『ヒロシマ』を世界に訴えているにも拘らず、広島市の平和記念公園で行われる慰霊祭に一度も出ていない方がいる(田邊雅章さんという方だ)。

爆心地に近い平和記念公園の下には(そこは原爆投下まで広島の繁華街であった)、原爆で壊された建物や、そこで亡くなった5000人以上の人たちがそのまま埋められているのだそうだ。

そこは余りにも被害がひどく公園にするしかなかった、という。だから、平和記念公園の土地は、1メートル嵩上げされており、少し掘ると瓦礫が出てくるらしい。

亡くなった人たちがそのまま埋められている地を(平和記念公園を)踏みつけることができない。だから、田邊雅章さんが、慰霊祭に出られないのだそうだ。

田邊雅章さんは、また原爆投下後の何もなくなっていた広島市内の様子について、人が人としての良心をなくしていたという。要は、人々は犯罪行為をしていたのだが、そのことを誰も口にしない、できないで来ている、という。

田邊雅章さんは、間も無く(2017年10月時点で)80歳になられる。存命でいらっしゃる。田邊雅章さんにとって、そして、田邊雅章さんや田邊雅章さんと同じような経験をされた方々にとっては、まだ『戦争』は終っていない。多分、永遠に終らない。それが『戦争』である。人が自身の意思で人生を決める権利を奪うものが『戦争』である。自衛の為であろうと、或いは、何がしかの『正義』と称するものの為であろうと、それが『戦争』である。

『ヒロシマ』に限らず、日本中の多くの地の下には、『戦争』で亡くなった方々が眠っているであろう。

しかし、人々はそのことを知らず、そして、1966年、『広島市立皆実小学校』6年10組の『ゲス児童』たちも、何も知らずに、『くしゃれ緑』と叫び、『ウンギリギッキ!』と腰を振っていたのである。



………1966年、『ゲス児童』は山口県宇部市にもいた。

『琴芝のジェームズ・ボンド』こと、『宇部市立琴芝小学校』の6年生のビエール・トンミー君である。

ビエール・トンミー君は、『いきものがかり』としての役目を真面目に励行する一方で、誰に云えない『行為』に耽っていた。

『うつ伏せ寝』である。

宇部市も空襲を受けていた。計8回受けたそうだ。その内、1945年7月29日の空襲は、原子爆弾投下専門部隊による模擬原爆3発の投下であったであったそうだ。

宇部市の空襲による死者は254人、負傷者は 557人、行方不明者68人、罹災人員25,424人だそうである。

『ヒロシマ』より死者等は少ない。ずっと少ない。しかし、死者の数が問題ではない。宇部市でも多くの人々が、『戦争』により人生を狂わされていたはずである。

しかし、ビエール・トンミー君は、その地で、『うつ伏せ寝』をし、尺取り虫みたいに腰を上下させていたのである。

呑気なものであった。

『うつ伏せ寝』をしたビエール・トンミー君は、夢想していた。

同じ『いきものがかり』の女の子が、いや、鶏小屋の中で餌やりの為にしゃがんだ女の子のスカートの奥の白いパンツが、見えた。

そして、その女の子が、立ち上がると、彼女の下半身は、透けた白いスカーフをまとったような若い女性の下半身に変っていた。『かわいい魔女ジニー』である。

『ジニー』の下半身が見えてきた時、股間が膨らみ、ムズムズし始めた。

「ごめんね、ジロー」

今度は、女性歌手の姿が浮かんできた。小悪魔的と云われた容姿の奥村チヨであった。

その時、脳を通さず、股間が条件反射したのだ。それはその時が初めてではなかった。

しかし、その時の条件反射は、それまでにない強いものであった。

「うっ!」

ビエール・トンミー君は、思わず呻き声を発した。ビエール・トンミー君は、股間を押さえ、自身に生じた『異変』を知った。

その時、ビエール・トンミー君は、後に友人となるエヴァンジェリスト君を凌駕する『ゲス児童』となった。


(おしまい)




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