1966年、『広島市立皆実小学校』6年10組で流行語となった『くしゃれ緑』は、実は、『くされ縁』であった。
『くされ縁』は、1965年に公開された志賀隆・監督の成人映画である。
春の遠足に行く貸切バスの中から、『くされ縁』の看板を見た6年10組のヨシタライイノニ君が、
「『くしゃれ緑』!」
と叫んだのだ。
成人映画『くされ縁』の看板を見て興奮したヨシタライイノニ君が、その言葉を叫んだ時、『くされ』を『くしゃれ』のように発音してしまい、『縁』を『緑』と見間違えてしまったのだ。
かくして、『くされ縁』が、『くしゃれ緑』となった。
「『くしゃれ緑』!」
「『くしゃれ緑』!」
「『くしゃれ緑』!」
6年10組の男子たちは、休憩時間になると、教室の横にあった体育用具準備室に入り込み、そう叫び合うようになった。
エヴァンジェリスト君も、妄想の中の『妻』でありクラス.メイトである『トウキョウ』子さんに軽蔑されないか気にしながらも、体育用具準備室で、『くしゃれ緑』と叫んでいた。
その体育用具準備室で、新たな流行が始ったのである。
『くしゃれ緑』に次ぐ、新たな流行を始めたのも、ヨシタライイノニ君であった。
その日、お昼休みに、給食を食べ、いつものように体育用具準備室に入って行くと、聞きなれない言葉が、悲鳴と共に耳に入って来た。
「ヒェーッ!」
という悲鳴を覆うように、その言葉が聞こえた。
「ウンギリギッキ!ウンギリギッキ!」
それは、ヨシタライイノニ君の声であった。
ヨシタライイノニ君は、ヒフノビ君に背後から抱きつき、股間をヒフノビ君の臀部に押し当て、腰を前後に振っていた。
その腰の振りに合せて、
「ウンギリギッキ!ウンギリギッキ!」
と叫んでいたのだ。
ヨシタライイノニ君が何をしているのか、エヴァンジェリスト君は分らなかった。
逃げて行くヒフノビ君に腰からついて行き、ヨシタライイノニ君は、繰り返した。
「ウンギリギッキ!ウンギリギッキ!」
ヒフノビ君は前屈し、
「ヒェーッ!」
と悲鳴を上げながらも、眼鏡の奥の目は、『へ』の字になっていた。
体育用具準備室を入ったところで、エヴァンジェリスト君は、呆然と立ち尽くしていた。
………1966年、『琴芝のジェームズ・ボンド』の噂は、『琴芝小学校』、神原小学校、宇部学園女子中学・高校(今の慶進中学・高校)、宇部中央高校といった学校の枠を超え、更に、琴芝という地域の枠も超え、宇部市中に広まっていった。
しかし、『琴芝のジェームズ・ボンド』、つまり、『宇部市立琴芝小学校』の6年生のビエール・トンミー君は、『いきものがかり』と『うつぶせ寝』に専念していた。
ビエール・トンミー君に、『いきものがかり』として世話をやいてもらう鶏たちは、餌がいいのか、或いは、『いきものがかり』の魅力に反応したからか、沢山、卵を生むようになっていた。
そして、『うつぶせ寝』の方も進化して来ていた。
その日も、ビエール・トンミー君が、妹の目を盗んで『うつ伏せ寝』をしていると、
「お兄ちゃん、何してんの?」
いきなり妹の声がした。妹がいつの間にか部屋に入って来ていたのだ。
「マズイ!」
と思ったが、そう声には出さなかった。
「尺取り虫みたい、ふふ」
妹は、そう笑った。
「尺取り虫?」
と思ったが、そう声には出さなかった。
「おもしろーい!」
そうだ、ビエール・トンミー君は、無意識の内に、『うつ伏せ寝』の状態で、腰を上げ下げしていたのだ。
「ああ、尺取り虫だよ」
と云うと、ビエール・トンミー君は、『うつ伏せ寝』したまま、腰を上げ下げして見せた。
「もっとしてえ!」
妹のリクエストに応えて、ビエール・トンミー君は、『尺取り虫』を繰り返した。
その姿は、『尺取り虫』の他にも、何かに似ていた。
そう、ビエール・トンミー君は、知らなかったが、同じ時期、『広島市立皆実小学校』6年10組の教室の横にある体育用具準備室で流行り始めていた『ウンギリギッキ!』に似ていたのだ。
(続く)
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