2017年10月29日日曜日

【ゲス児童】『くしゃれ緑』な『ウンギリギッキ』(その30)[M-Files No.5 ]



1966年、『広島市立皆実小学校』6年10組で流行語となった『くしゃれ緑』は、実は、『くされ縁』であった。

『くされ縁』は、1965年に公開された志賀隆・監督の成人映画である。

春の遠足に行く貸切バスの中から、『くされ縁』の看板を見た6年10組のヨシタライイノニ君が、

「『くしゃれ緑』!」

と叫んだのだ。

成人映画『くされ縁』の看板を見て興奮したヨシタライイノニ君が、その言葉を叫んだ時、『くされ』を『くしゃれ』のように発音してしまい、『縁』を『緑』と見間違えてしまったのだ。

かくして、『くされ縁』が、『くしゃれ緑』となった。

「『くしゃれ緑』!」
「『くしゃれ緑』!」
「『くしゃれ緑』!」

6年10組の男子たちは、休憩時間になると、教室の横にあった体育用具準備室に入り込み、そう叫び合うようになった。

エヴァンジェリスト君も、妄想の中の『妻』でありクラス.メイトである『トウキョウ』子さんに軽蔑されないか気にしながらも、体育用具準備室で、『くしゃれ緑』と叫んでいた。

その体育用具準備室で、新たな流行が始ったのである。





『くしゃれ緑』に次ぐ、新たな流行を始めたのも、ヨシタライイノニ君であった。

その日、お昼休みに、給食を食べ、いつものように体育用具準備室に入って行くと、聞きなれない言葉が、悲鳴と共に耳に入って来た。

「ヒェーッ!」

という悲鳴を覆うように、その言葉が聞こえた。

「ウンギリギッキ!ウンギリギッキ!」

それは、ヨシタライイノニ君の声であった。

ヨシタライイノニ君は、ヒフノビ君に背後から抱きつき、股間をヒフノビ君の臀部に押し当て、腰を前後に振っていた。

その腰の振りに合せて、

「ウンギリギッキ!ウンギリギッキ!」

と叫んでいたのだ。

ヨシタライイノニ君が何をしているのか、エヴァンジェリスト君は分らなかった。

逃げて行くヒフノビ君に腰からついて行き、ヨシタライイノニ君は、繰り返した。

「ウンギリギッキ!ウンギリギッキ!」

ヒフノビ君は前屈し、

「ヒェーッ!」

と悲鳴を上げながらも、眼鏡の奥の目は、『へ』の字になっていた。

体育用具準備室入ったところで、エヴァンジェリスト君は、呆然と立ち尽くしていた。


………1966年、『琴芝のジェームズ・ボンド』の噂は、『琴芝小学校』、神原小学校、宇部学園女子中学・高校(今の慶進中学・高校)、宇部中央高校といった学校の枠を超え、更に、琴芝という地域の枠も超え、宇部市中に広まっていった。

しかし、『琴芝のジェームズ・ボンド』、つまり、『宇部市立琴芝小学校』の6年生のビエール・トンミー君は、『いきものがかり』と『うつぶせ寝』に専念していた。

ビエール・トンミー君に、『いきものがかり』として世話をやいてもらう鶏たちは、餌がいいのか、或いは、『いきものがかり』の魅力に反応したからか、沢山、卵を生むようになっていた。

そして、『うつぶせ寝』の方も進化して来ていた。

その日も、ビエール・トンミー君が、妹の目を盗んで『うつ伏せ寝』をしていると、

「お兄ちゃん、何してんの?」

いきなり妹の声がした。妹がいつの間にか部屋に入って来ていたのだ。

「マズイ!」

と思ったが、そう声には出さなかった。

「尺取り虫みたい、ふふ」

妹は、そう笑った。

「尺取り虫?」

と思ったが、そう声には出さなかった。

「おもしろーい!」

そうだ、ビエール・トンミー君は、無意識の内に、『うつ伏せ寝』の状態で、腰を上げ下げしていたのだ。

「ああ、尺取り虫だよ」

と云うと、ビエール・トンミー君は、『うつ伏せ寝』したまま、腰を上げ下げして見せた。

「もっとしてえ!」

妹のリクエストに応えて、ビエール・トンミー君は、『尺取り虫』を繰り返した。


その姿は、『尺取り虫』の他にも、何かに似ていた。

そう、ビエール・トンミー君は、知らなかったが、同じ時期、『広島市立皆実小学校』6年10組の教室の横にある体育用具準備室で流行り始めていたウンギリギッキ!』に似ていたのだ。


(続く)





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