『広島市立皆実小学校』の5年4組のエヴァンジェリスト君は、酔っていた。
1965年12月、同級生の『帰国子女』子ちゃん宅で開かれたクリスマスパーティーで、エヴァンジェリスト君は、花のカチューシャを付けた『帰国子女』子ちゃんの可憐さに、目も心も奪われていた。
エヴァンジェリスト君の股間に、ほんの微動程度であったが、疼きが生じた。
いや、微動にも到らない微かな、一種の痛みであった。本人も気付かない程の、心地良さを伴った僅かな痛みであった。
更に、『帰国子女』子ちゃんが、本棚に英語の本を戻す際に放った微かな香りに、鼻までも奪われた。
その香りは、エヴァンジェリスト君の股間に、それまでの微動に過ぎなかった疼きを超えた『異変』が生じさせたのであった。
それが何であったかは分らなかったが、エヴァンジェリスト君は、動揺した。
そうだ、エヴァンジェリスト君は、酔っていたのだ。
勿論、クリスマス・パーティーでアルコールを飲んだのではない。
『帰国子女』子ちゃんの香りに酔ったのだ。
後年、山中恒・原作のNHKのテレビ・ドラマ『ぼくがぼくであること』(1973年放映)で、主人公の平田秀一が、同い年の谷村夏代ちゃんに恋をし、『花』の匂いに酔ってしまうように(俳優でもある佐藤博さん作詞・作曲の主題歌『南風』の表現である)。
酔ってしまったエヴァンジェリスト君は、気付いたら、自宅の子ども部屋にいた。
プレゼント交換もしたようであったし、誰かと交換したプレゼントを持ち帰ってはいた。
だが、それが『帰国子女』子ちゃんが用意したプレゼントでなかったことだけは分ったので、持ち帰ったプレゼントは部屋の片隅に放りなげていた。
「ごめんね、ジロー」
部屋には二人の兄がおり、どちらの兄がつけたのか、ラジオからその年のヒット曲が流れていた。奥村チヨである。
しかし、エヴァンジェリスト君の耳には、甘い歌声の『ごめんね、ジロー』は入らず、兄たちといる子供部屋で独り、クリスマス・パーティーの余韻に浸っていた。
自分は、『帰国子女』子ちゃんの家に上ったのだ。『帰国子女』子ちゃんの部屋にまで入ったのだ。
「そこまでしたからには、『責任』を取らないといけない」
ベッドの布団に身をくるめ、呟いた。
「ごめんね、ジロー」
の奥村チヨの声にかけ消され、その呟きは、兄たちには聞こえてはいなかった。
…………….その夜、宇部市でも、
「ごめんね、ジロー」
という歌声がラジオから流れ、そこに股間を押さえている少年がいた。
『琴芝小学校』5年生のビエール・トンミー君であった。
ビエール・トンミー君は、
「ごめんね、ジロー」
を聴きながら、テレビで見たことのある、その歌を唄う女性歌手の姿を思い浮かべていた。
それだけのことである。
それだけのことであったが、何故か、股間に『異変』が生じたのだ。
奥村チヨの声は甘かった。そして、その容姿は、小悪魔的と云われた。
勿論、小学5年のビエール・トンミー君は、『小悪魔』なんて言葉は知らなかった。奥村チヨの容姿を、素敵だ、と思った訳ではなかった。
脳を通さず、股間が条件反射したのだ。
そして、ビエール・トンミー君は、『異変』の生じた股間に手を当てのだ。
その時、初めて脳幹が何かを感じた。股間に手を当てたのは、それが初めてではなかったが、その感覚は、その時が初めてであった。
「なんだ、これは?」
(続く)
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