『帰国子女』子ちゃんが、1965年12月、『広島市立皆実小学校』の5年4組の同級生たちを招き、自宅で開いたクリスマス・パーティーである。
『帰国子女』子ちゃんが、英語の本を流暢な英語で読み上げるのを聞き、エヴァンジェリスト君は、妄想した。
まだ5年生なのに、『帰国子女』子ちゃんと結婚し、子どもが出来たら、その子は『帰国子女』子ちゃんのように英語を喋るようになるのだろう、と妄想した。
………妄想はしたが、どうすれば子どもが出来るか、という疑問はなかった。
子どもの作り方を知っていたのではない。結婚しさえすれば、子どもが出来るものと思っていたのだ。
エヴァンジェリスト君は、ゲスな児童ではなかった。少なくともこの頃はまだ.....
まだ、『くしゃれ緑』も『ウンギリギッキ』も知らなかった。
だが、『帰国子女』子ちゃんと結婚し、二人の間に子どもがいる姿を思い浮かべると、股間が疼いた。
いや、それはまだ疼きと云える程のものではなかった。微動であった。いやいや、微動にも到らない微かな、一種の痛みであった。本人も気付かない程の、心地良さを伴った僅かな痛みであった。
『帰国子女』子ちゃんが、英語の本を本棚に戻す時、エヴァンジェリスト君の横を通った。
微かな香りがした。
アメリカ帰りとはいえ、『帰国子女』子ちゃんはまだ小学5年生活であったので、香水を付けていたはずはない。その香りは、彼女が前夜、入浴の際に使用したシャンプーの香りであったかもしれない。リンスの香りであったかもしれない。
5年生のエヴァンジェリスト君は、その香りがシャンプーかもしれない、という思いには到らなかった。リンスかも、とは想像だにできなかったであろう。
当時(1965年頃だ)、エヴァンジェリスト君はまだリンスなるものを知らなかった。日本でリンスが普及するのはもう少し後のことだ。
しかし、問題は、『帰国子女』子ちゃんが漂わせた香りが、シャンプーから来たものであったのか、リンスから来たものであったのか、ではない。
可憐な女の子が体から自然に発した匂いであったかもしれないが(まあ、体臭だ)、それも問題ではなかった。
自分の側を通った『帰国子女』子ちゃんから発した香りの素が何であれ、エヴァンジェリスト君の股間に、それまでの微動に過ぎなかった疼きを超えた『異変』が生じた。
それが何であったかは分らなかったが、動揺した。
動揺したエヴァンジェリスト君は、それまでしていた正座を崩し、脚を組み替えるふりをした。
股間の『異変』がバレたらマズイ、と本能的に思った。他の子たちに、特に、『帰国子女』子ちゃんにバレたらマズイ、と思った。
………その頃、宇部市では、『琴芝小学校』5年生のビエール・トンミー君が、少し早い時間であったが、入浴していた。
さすがのビエール・トンミー君もまだリンスは使っていなかったが、いつものように、その年(1965年)に販売開始された『エメロン』シャンプーで頭を洗った。
ビエール・トンミー君に自覚はなかったが、『琴芝小学校』では、ビエール・トンミー君とすれ違った女子児童たちは、思わず振り向き、そして、目を閉じた。
ビエール・トンミー君の美貌に惹かれ振り向き、そして、ビエール・トンミー君の残り香を嗅ぐ為に目を閉じたのだ。
その香りは、『エメロン』シャンプーのものであったかもしれないし、或いは、美少年が体から自然に発した匂いであったかもしれないが(まあ、体臭である)。
(続く)
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