「おー!おー!『くしゃれ緑』!」
1966年、春の遠足でのことである。
『広島市立皆実小学校』6年10組のみんなが乗ったヒロデン(広島電鉄)の貸し切りバスの中から、突然、クラスのお調子者のヨシタライイノニ君が、訳の分らない叫び声を上げたのであった。
「おー!おー!『くしゃれ緑』!」
その叫び声に驚いたエヴァンジェリスト君は、ヨシタライイノニ君が指差す先を見た。映画館の看板であった。
移動するバスの中から見ただけなので、明瞭に認識できた訳ではなかったが、その映画館の看板の描かれたものは、見てはいけないものであるように思えた。
看板の内容がはっきり見えた訳でもないので、何故、見てはいけないものであると思ったのかは分らなかったが、エヴァンジェリスト君は頬の内側が、自分にしか分からない程度ではあるが、熱くなったのを感じた。
ヨシタライイノニ君が指差した映画館の看板には、肌を露わにした女性が描かれていたように見えたのだ。
その看板を指差し、ヨシタライイノニ君は、叫んだのだ。
「おー!おー!『くしゃれ緑』!」
「『くしゃれ緑』!」
「『くしゃれ緑』!」
「『くしゃれ緑』!」
ヨシタライイノニ君の
「おー!おー!『くしゃれ緑』!」
に呼応するように、他の男子たちも口々に叫び始めた。
「『くしゃれ緑』!」
「『くしゃれ緑』!」
「『くしゃれ緑』!」
すると、
「あんたら、五月蝿いねえ」
デンパ子さんが男子たちに云った。
「静かにしんさいやあ」
オナカダ子さんが注意した。
だが、テツボウ君が、ヒフノビ君が、ボス君が、そして他の殆どの男子たちが合唱した。
「『くしゃれ緑』!」
「『くしゃれ緑』!」
「『くしゃれ緑』!」
エヴァンジェリスト君は、黙っていた。『妻』を意識していたのだ。妄想の中の『妻』である『トウキョウ』子さんの顰蹙を買いたくなかったのだ。
そして、『くしゃれ緑』って何であるのかが、分らなかったからであった。
『くしゃれ緑』というか、どうやらそれが関連している映画館の看板のせいで、頬の内側が、自分にしか分からない程度ではあるが、熱くなったことは確かであったが、何故、そのような現象が起きたのかが分らなかったのだ。
その日の遠足中、男子たちは、事ある度に、
「『くしゃれ緑』!」
と叫び合った。
男子同士で、好きな女の子のことを云い合った時に、
「『くしゃれ緑』!」
手を繋ぐアベック(当時は、カップルのことを、アベックと云った)を見ては、
「『くしゃれ緑』!」
と叫んだ。
その後、『くしゃれ緑』は、『広島市立皆実小学校』6年10組で長く流行することになった。
男女のことに関った話になると必ず、
「『くしゃれ緑』!」
と叫ぶのが、6年10組の男子たちの常となった。
春の遠足では、『くしゃれ緑』に参加しなかったエヴァンジェリスト君も、いつのまにか『くしゃれ緑』を口にするようになっていた。
6年生にもなると、『男女のこと』を意識するようになるのだ。エヴァンジェリスト君も例外ではなかった。
『結婚』を妄想するくせに、エヴァンジェリスト君にとって『結婚』は、好き合った男女が一緒に暮らすだけのものであり、手を握ることも夢想だにするものではなかった。
しかし、友達との会話の中で『くしゃれ緑』を口にするようになり、エヴァンジェリスト君も、『結婚』やら『男女のこと』が、好き合った男女が一緒に暮らすだけ、一緒にいるだけのものではないらしいことを感覚的に捉え始めたのであった。
『結婚』やら『男女のこと』が、明確に分った訳ではなかったが、『くしゃれ緑』という言葉を口にしたり、聞いいたりすると、あの映画館の看板が瞼に浮かんで来るのであった。
「(映画館の看板の)あの女の人は、どうして服を脱ぎかけていたのだろう?」
そう思うようになった。
ヨシタライイノニ君が始めた『くしゃれ緑』は、エヴァンジェリスト君の安寧を揺るがしたのだ。
そして、次の流行が、ついにエヴァンジェリスト君を『ゲス児童』への道を歩ませることになったのである。
………1966年、広島市でエヴァンジェリスト君が、『ゲス児童』への道を歩み始めた頃、山口県宇部市では、『琴芝小学校』の6年生のビエール・トンミー君は、勉学に勤しんでいた。
常に成績は、トップであった。テストは、100点を取ることも多く、90点を下回る点を取ることは決してなかった。
クラスで、学年で、ビエール・トンミー君は、別格であった。
しかし、成績の良さ(頭の良さ)を鼻にかけることもないので、級友たちに嫌われることもなかった。むしろ、級友たちの尊敬を集めていた。
勉強で分らないことがあると、ビエール・トンミー君に訊いた。ビエール・トンミー君は、相手が誰であれ、快く、そして、分かり易く教えてくれた。
しゃかりきになって勉強しなくとも成績はトップであったが、努力をしなかった訳ではない。色々な問題集を買っては、数多くの問題を解いていった。
それは、努力と云えば努力であったが、ビエール・トンミー君にとっては、むしろ喜びであった。
正解をすることが、そして、問題をどんどん解いていくにつれ、より難しい問題も解けるようになることが、快感であった。
その日も、ビエール・トンミー君は問題集を買いに書店に行った。
参考書・問題集のコーナーに行く途中に、ベストセラーのコーナーがあった。
ふと、そのコーナーの棚に平積みにされていた本に目がいった。
『性生活の知恵』…….その本のタイトルである。著者は、なんだか変った名前であった。『謝国権』である。
一人のおじさんが、その本を手に取り、ページを開いた。
ビエール・トンミー君は、見るつもりがあった訳ではないが、おじさんが開いたページが見えてしまった。
その時、ビエール・トンミー君の股間に『異変』が生じた。
ビエール・トンミー君に見えたものは、何か白い人形のようなものであった。『人形』は何体もあった。
『人形』の中には、『うつぶせ寝』状態のものもあったのである。
驚いた。『人形』は何をしているのだろう、と思った。
そして、本のタイトルにある『性生活』って何だろう、と思った。
『性生活』が何であるか分らなかったが、『うつぶせ寝』と関係のあるもののようだ。
ドキドキした。股間が疼いた。
6年生になっても、ビエール・トンミー君は、『うつぶせ寝』にはまっていた。妹が同じ部屋にいない時は、かなりの頻度で『うつぶせ寝』をするようになっていた。
ビエール・トンミー君は、『うつぶせ寝』が、何か『快い感覚』をもたらすものであることは自覚するようになっていた。
そして、そのことは、妹にも、父親にも母親にも知られてはいけないものと本能的に察していたのだ。
その『うつぶせ寝』を、『性生活の知恵』は、大胆にも『人形』にさせているのだ。
ベストセラー・コーナーから参考書・問題集のコーナーに行っても、ビエール・トンミー君の脳裏からは、『うつぶせ寝』した白い『人形』の姿が離れなかった。
そして、股間は疼き続けていたのであった。
(続く)
0 件のコメント:
コメントを投稿