後にエヴァンジェリスト君の友人となるビエール・トンミー君が、まだ『恋』も知らず、『いきものがかり』として、宇部市の琴芝小学校、『鶏』を相手に『戯れ』ていた頃のことである(1965年だ)。
エヴァンジェリスト君は、『広島市立皆実小学校』5年4組の同級生である『帰国子女』子ちゃんへの自分の『収まり切らない』想いが、『恋』というものであることを徐々に知っていった。
5年4組の教室で、授業と授業との間の休憩時間や昼休みは、エヴァンジェリスト君は、級友たち(男子児童だ)と話しながら、やはり級友たち(女子児童だ)と話をする『帰国子女』子ちゃんの横顔と級友たち(男子児童だ)の顔を交互に見ていた。
時に『帰国子女』子ちゃんと目が合うと、
「目が合った!」
と浮かれた。『恋』が成就したような気分となった。
しかし、『帰国子女』子ちゃんが、他の男子児童と話していると、
「『帰国子女』子ちゃんは、アイツ(他の男子児童だ)のことが好きなのだ、きっと」
と、11歳にして人生が終ったような気分になっていた。
授業中は、前方席に座る『帰国子女』子ちゃんの後ろ姿と先生とを交互に見ていた。
『恋』はしていたが、勉強をすることは忘れなかった。
エヴァンジェリスト君は、勉強を頑張ったのだ。
そうすれば、モテる、というか、『帰国子女』子ちゃんが好きになってくれるのでは、と思ったのだ。
そういう子(勉強のできる男の子を好きになる女の子)もいたかもしれないが、女の子たちには、それよりも見た目に格好いい男の子、スポーツのできる男の子の方が好まれる、憧れの対象となることをエヴァンジェリスト君は知らなかった。
そして、自分の美貌についての認識もなかった。
エヴァンジェリスト君の見た目は、クラス一、いや、皆実小学校一番といってもいいものであったのだ。今でいう『超イケメン』であったのだ。
なのに、エヴァンジェリスト君ときたら、
「目が合った!」
「他の男の子と楽しそうに話していた……」
と思っては、一喜一憂していたのだ。
それが、まさに『恋』であった。そして、まだまだ『ウブな恋』であった。
エヴァンジェリスト君は、まだ、『くしゃれ緑』に遭遇もしておらず、『ウンギリギッキ』をするにも到っていなかったのだ。
(続く)
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