(夜のセイフク[その77]の続き)
「もうすっかりスターだね」
と、エヴァンジェリスト君に云われたものの、ビエール・トンミー君は、所謂『スター』にはならなかった。
ビエール・トンミー君は、彼自身に自覚はなかったかもしれなかったが、『スター』になるまでもなく、クラスの女子生徒の多くが、彼に憧れていた。
しかし、女子生徒たちにとっては、ビエール・トンミー君は、『高嶺の花』であった。余りに頭脳明晰で、余りに美しく、ビエール・トンミー君に群がることはなかった。
ビエール・トンミー君は、声も魅力的であった。
だから、放送劇『されど血が』が放送されると(『放送』と云っても、ホームルームでテプを流しただけであったが)、女子生徒たちは、ビエール・トンミー君の声の演技を聴きながら、こっそりとお漏らしをする子までいた。
「(はっ…..、出ちゃった…)」
だが、女子生徒たちは、やはりビエール・トンミー君に群がることはなかった。ただ一人、『されど血が』で相手役の『すず』を演じた隣席の女子生徒だけは、ビエール・トンミー君にことある度に身を摺り寄せるようになってきたし、ビエール・トンミー君の方も彼女に関心はなかったものの、彼の体のある部分だけは、彼女に本能的に関心を持ったようではあった。
「(いや、違う…..)」
しかし、他の女子生徒たちが、ビエール・トンミー君に群がることはなかった。それは、彼が、余りに頭脳明晰で、余りに美しかっただけではなく、『されど血が』というドラマのせいでもあった。
『されど血が』を聴いた同級生たちは、このドラマをどう捉えていいのか、分らなかったのである。
1970年の広島県立広島皆実高校1年7ホームの教室である(クラスのことを皆実高校では『ホーム』と呼んだ。今もそうかもしれない)。放課後、放送劇『されど血が』の本番放送直後のことであった
1年7ホームの教室は静まり返っていた。
クラスの生徒たちは、今聞かされたものをどう理解していいのか、分らなかった。
『されど血が』が、『己を見る人間』、『己を、己の罪を見ないではいられない人間』であることのエヴァンジェリスト君の苦悶の叫びであることを理解したのは、ビエール・トンミー君だけであったのだ。
「(エヴァ君、君は…..)」
他の生徒たちは、『されど血が』に、理解はできないものの、何か重いものを感じはしたが、その重みと、その作者であり監督であるエヴァンジェリスト君の軽さとの間に得も云えぬ違和感を覚えたのだ。
(続く)