(住込み浪人[その46]の続き)
「なんねえ、こりゃあ!」
小声ながらも周囲の人たちも気付く程にオバサンは叫んだ。広島のMHK文化センターのホールで、トシコ先生による『ロマン主義と解放』の講演の最中であった。
「堪らんよおねえ」
体のある部分から臭気を湧き上がらせる男子高校生を睨みつける。
「(な、な、何を云い出すんだ!先生、何を仰るのですか!)」
広島皆実高校の2年生のビエール・トンミー少年には、隣席のオバサンの視線にも気付かず、叫びも耳に入っていなかった。何か隠微な虫のように蠢く赤い唇から発せられた、もっともっと刺激的な言葉が、少年の耳の中にこだましていたのだ。
「(『インモー』、『インモー』、『インモー』!!!!!)」
その言葉が少年の耳の中でリフレインする度に、臭気が強さを増した。
「うん、もう!....あんたあ、いうたらあ」
少年は気付かなかったが、オバサンの声音が変ってきていた。視線も少年を舐めるようなものへと変ってきていた。
「(『インモー』、『インモー』、『インモー』!!!!!)」
少年は、理解していなかった。トシコ先生が発したその言葉は、学術的な、そう、極めて学術的なものであったのだ。ロマン主義を開設する上で必要な、学術的な言葉であったのだ。
「…..解放の象徴なのです」
そして、トシコ先生も理解していなかった。自身が発した言葉が、聴講する一人の男子高校生とその隣に座るオバサンを『解放』させたことを。
「(『インモー』、『インモー』、『インモー』!!!!!)」
「うーんもう、クラクラするよおねえ」
(続く)
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