『少年』は、その年(1968年)、好きであったテレビ番組『てなもんや三度笠』が終了したことで、もう、『いやーん、いやーん、いやん!』という『ちょろ松』(ルーキー新一)のギャグを見れなくなったのは残念であったが、そんなことではハブテン少年ではあったのだ。
だって、ハブテルと、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と母親に叱られるのだ。
************************
(ハブテン少年[その84]の続き)
「(んぐっ!)」
時に、『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)の校庭で体操着(所謂、ブルマ姿である)になった『パルファン』子さんを見かける時、エヴァンジェリスト少年は、体のどこかから何かが噴き出してくるような感覚に襲われる。
「(んぐっ!)」
これまでの『妻』と違い、同学年の同じクラスではないのだ。日常生活を共にできないのだ。だからこそ、会った時(といっても、ただ見かけた時であるが)の悦びは強かった。
「(アナタ……)」
年下の女子生徒にうつつを抜かすそんな元『夫』を、元『妻』である『クッキー』子さんは、黙して凝視めるしかなかったかもしれない。もう『夫婦』ではなくなっていたのだから。
そんな元『妻』の心も知らず、エヴァンジェリスト少年の頭の中には、
「ルルルールー…..」
という歌が響いていた。舟木一夫の声である。
「♫愛しているといったら負けで….♬」
テレビドラマ『あいつと私』の主題歌であった。
「(んぐっ!)」
ヒロインの『恵子』を演じる松原智恵子と『パルファン』子さんが重なって見える。映画の『あいつと私』のヒロインは芦川いづみで、そちらも良かったが、毎週見る松原智恵子の像の方が強く焼き付いていた。
「♫愛してないといったら….♬」
舟木一夫の歌声が続く。
自分は、主役の『三郎』とイメージを重ねる。ドラマの『三郎』は、川口恒であったが、映画の『三郎』を演じた石原裕次郎の像を自分に重ねる。石原裕次郎の方が、奔放なようで実は繊細な原作の小説の『三郎』のイメージに近いように思えたのだ(その時は、まさか将来、自分が石原プロ入りを噂されるようになるとは想像だにしていなかった)。自分自身が、『三郎』とは程遠い存在であることは関係なかった。
「(んぐっ!)」
そうだ。エヴァンジェリスト少年は、自分と『パルファン』子さんを、『あいつと私』の世界に置き、所謂、甘く切ない恋愛をしていたのだ。実際には、まだ話したことすらなかったのに。
(続く)
0 件のコメント:
コメントを投稿