『少年』は、その年(1967年)、早川電機工業という会社が(今のシャープである)IC電卓なるものを発売したことを知ったものの、自分はそんな高級そうなものは一生使うようになることはないだろうと思ったが、そんなことではハブテン少年ではあったのだ。
だって、ハブテルと、
「あんたあ、ハブテンさんな」
と母親に叱られるのだ。
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(ハブテン少年[その77]の続き)
「君たちはバカなんじゃ」
ブショー先生のその言葉は耳に入っていたが、特に反発を覚えることもなく、エヴァンジェリスト少年の眼は、虚ろであった。
「(つまらない…..)」
ブショー先生の授業がつまらないのではなかった。
「どうしてか、云うたら…..」
ブショー先生は、『君たちはバカなんじゃ』という理由を説明し始めた。
「毛利が、広島の優秀な人間を皆、山口に連れて行ったけえ。見てみい。山口からは総理大臣がようけ出とるが、広島からは池田勇人だけじゃろ」
今(2019年)からすると暴論にも聞こえるが、その時(1968年)、エヴァンジェリスト少年は、ブショー先生のその言葉に妙に納得した。
「(なるほど…..)」
今もってエヴァンジェリスト氏は、ブショー先生の説を信じている。総理大臣が偉いとはとても思えないが(漢字もろくに読めない者もいるのだ)。
「ブショー先生は、ちょっとあれじゃけえ」
エヴァンジェリスト少年の両親は、ブショー先生を快く思っていなかった。
「『ニッキョーソ』じゃけえ」
しかし、エヴァンジェリスト少年は、解せなかった。『ニッキョーソ』が何であるかを知らなくはなかったが、
「(どうして、『ニッキョーソ』がいけないんだろう?)」
『ニッキョーソ』を好きな訳でもなかったが、
「『ニッキョーソ』は、『キョーサントー』じゃけえ」
と云うエヴァンジェリスト少年の親世代の多くが、『ニッキョーソ』、『キョーサントー』というだけで嫌悪感を抱いていることに違和感があった。そこに理屈があるようには思えなかった。
「(わからん)」
資本主義陣営にいる日本人として、当時、敵対関係にある社会主義陣営側にあると思われる『キョサントー』を嫌悪していることは、中学生といえども理解はしていた。
自由がないように見えるソ連のような社会主義国に日本がなればいいとは思っていなかったが、親たちは、『キョーサントー』即、『悪』としているだけのように(ただ、何かに、何者かに、刷り込まれているだけのように)感じたのだ。
「(大人の多くが支持する『ジミントー』の方が、余程、『ワルモン』ではないのか)」
ブショー先生は、『ワルモン』には見えなかった。ブショー先生に肩入れするつもりもなかったが、大勢に流される大人たちへの反発はあった(父親は、『ミンシャトー』支持であったが)。
しかし、エヴァンジェリスト少年は、『ハブテン少年』であった。だからまだ、大人たちに反抗することはなかった。
「(それにしても、つまらん)」
その時(1968年)、『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)の2年生の自分のクラスで、エヴァンジェリスト少年は、人知れずため息をついていた。
(続く)
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