(うつり病に導かれ[その76]の続き)
「ボクは、『広島人』だ。広島生れではないし、戦後生れだが、『ヒロシマ』が受けたものを知っている。それを感じた思春期を広島で過ごしたのだ」
妻に凝視められていることにも気付かなかった。風邪で寝込んでいたベッドに寝たまま、ビエール・トンミー氏の体は、風邪ではなく怒りに震えた。
「いや、それは広島だけのことではないのだ。日本だけのことでもないのだ。『記憶』は、世界中が留めるべきなのだ。『被服廠』解体自体を問題だと思っているのではない。『被服廠』を解体しようと思っている連中が問題なのだ。彼らには、『記憶』することの意味が解っていないのだろう。そのことをボクは危ぶみ、怒る!」
ビエール・トンミー氏は、奥歯を噛み締め、両の口の端を横にグッと引いた。
「アータ、そうだったのね!」
妻の眼が、恋する女の眼差しとなっていた。
「アータって、風邪で寝込んでいても、世の中のことを考えていらしたのね!素敵だわ。ええ、ステキ、ステキ、ステキ!」
妻の口が、夫の口を塞いだ。
「んぐっ!」
夫は、驚き眼を見開いた。
「アータ、アタシもここに一緒に寝るわ!」
妻は、夫のベッドに身を入れてきた。
「え!おい、おい、伝染るぞ。風邪が伝染るぞ」
「いいの!いいの、いいのよ!アタシも風邪をひきたいの!アータと一緒の風邪をひきたいの!」
と云うと、妻は夫を抱きしめた。
「んぐっ!んぐっ!んぐっ!」
夫も堪らず、妻を抱きしめ返した。
「ああ、アータ!」
2020年1月前半、まだ、新型コロナウイルスの猛威を強く感じる前のことであった。
(おしまい)
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