2020年11月17日火曜日

バスローブの男[その19]

 


「カモーン!カモーン!」


『マダム・トンミーとなる前のマダム・トンミー』は、そこが社内のエレベーター・ホールであることも忘れ、コブラツイストで同僚のトシ代の躰を締め上げる。


「カモーン、ギブアップ!?」


マダム・トンミーの顎は、アントニオ猪木ばりに前に突き出していた。




「ま、参ったわ….うっ」


トシ代は、なんとか声を出した。プロレスの詳しくないトシ代は、『ギブアップ』とは云わなかった、云えなかった。


「ふうう…」


マダム・トンミーは、息を吐き、自身の躰から力を抜き、トシ代の躰を解放した。


「分ったでしょ?これがプロレスよ」

「うう…っ」


トシ代は、腰に手を当て、体を斜め後ろに反り返していた。


「いいこと、プロレスは、観客を楽しませるという意味では、ええ、ショーよ。でも、八百長ではないわ。殺し合いではないから、相手の躰を壊すことはないように力を加減はするけど、ただ約束事の通り、技をかけあってるのではないの。学生プロレスとは違うのよ!少なくとも、猪木さんの新日本プロレスはそうよ」


当時の新日本プロレスは、マダム・トンミーの云う通り、『猪木さんの新日本プロレス』であった。それから20年、30年経つと、新日本プロレスは、アントニオ猪木の手を離れ、経営だけではなく、プロレスのあり方としても、『猪木さんの新日本プロレス』ではなくなることをマダム・トンミーは知らなかった。



(続く)



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