2020年11月19日木曜日

バスローブの男[その21]

 


「そう、プロレスって、『猪木さんのプロレス』は、勿論、八百長ではないし、かと云って、単純な格闘技でもないのよ。『虚』と『実』とが入り混じった深淵な、独自のジャンルのものなのよ!」


『マダム・トンミーとなる前のマダム・トンミー』は、そこが社内のエレベーター・ホールであるにも拘らず、そして、彼女は、良家の子弟ばかりの社員の中でも特段のお嬢様社員であるにも拘らず、同僚のトシ代を前にして、声も大きく、ピンクの口紅の口から唾を飛ばして熱弁をふるっていた。


「選手同士の本気のいがみ合いをリングに上げるのよ。だから、そのリングには、『戦い』があるの。でも、プロレスだから、『殺し合い』はしないの!」


その時、トシ代は、マダム・トンミーが飛ばした唾がついた自分の手の甲を自分の口に持っていき、舐めた。


「(んぐっ!)」


トシ代は、自分の躰の中の衝動を抑え難く、身をマダム・トンミーに近づけ、自らの唇を尖らせ、マダム・トンミーのピンクの唇を目指そうとした、その時…




「原宿のアラン・ドロンだわ」


と云う女性の声が背後から聞こえ、トシ代は、前のめりになっていた体を声のする方に振り向かせた。


「あなた、アラン・ドロンは古いわ。確かにハンサムだけど、アラン・ドロンよりもっとダンディだわ、トンミーさんって」


社内のエレベータホールに来たのは、経理の女性社員2人であった。



(続く)




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