2021年4月11日日曜日

【ビエール先生の『クラス』講座】Eクラスな男・NGクラスな男[その55]

 


<注意>

ビエール・トンミー先生のiMessageによるベンツの『クラス講座』は、ベンツの幾つかの『クラス』に対して、またそのオーナーに対して、辛辣過ぎる評価があるかもしれないが、決して、それらのベンツ、のオーナーを侮辱、差別をするものではない。


西洋美術史としてのビエール・トンミー先生の審美眼と、ハンカチ大学商学部卒の、しかも、SNCFの大家としてのビエール・トンミー先生のビジネス・センスとから、あくまで個人としての評価を述べるものである。


長年のベンツ・オーナーであるビエール・トンミー先生は、総ての『クラス』のベンツとそのオーナーを愛している。ベンツは、『評価』をするに値するクルマなのだ。『評価』をするに値しないモノについては、ビエール・トンミー先生は、言葉一つ吐くことはない。



[トランクを忘れた寅さんなAクラス・Bクラス(続き)]



「『トーヨー』?なんや、それ?」


ビエール・トンミー先生は、生徒エヴァンジェリスト氏が、自らの父親の勤務していた会社は、『マツダ』の社員ではなく、『トーヨー』の社員だと云ったことに、iMessageで『?』な反応を示した。ビエール・トンミー先生が云うトランクのないベンツ、即ち、ベンツの『Aクラス』、『Bクラス』は、『ハッチバック』のクルマと知った生徒エヴァンジェリスト氏が、マツダのファミリアの『ハッチバック』を思い出し、2人の会話は、『マツダ』論議となっていた。


「正式には、『東洋工業』です。『東洋工業株式会社』の社員だったんです。社員はじめ、広島では『東洋工業』のことを『トーヨー』と呼んでいました。広島を代表する会社である『トーヨー』の社員は、一流の会社員と崇められていました。父は、一流企業の社員だったのです」

「なんや、要するに『マツダ』やないか。『東洋工業』は、『マツダ』の旧社名やろ」

「几帳面な先生らしくもない!物事は正確でなくてはなりません。父は、55歳で定年退職した時は、まだ『東洋工業』は『マツダ』という社名になっていませんでしたので。父は、あくまで『東洋工業』の社員で、亡くなるまで自分が勤めていた会社のことを『トーヨー』と呼んでいました」

「そんなん、『マツダ』でも『東洋工業』でもどっちでもええやん。創業家が『松田』家やさかい、『マツダ』いう社名に変えたんやろ。ブランド名かて『MAZDA』やないけ」




「『トーヨー』は重要な言葉だと思います。『マツダ』いう社名に変った時、『松田』家、その時は、『松田耕平』さんですが、経営責任をとって社長を辞めていたんです。『松田』家による同族経営ではなくなっていたんです」

「でも、『松田』家かて、ええやないか。『松田』家の名前がブランドに残されたままだし、会社名まで『マツダ』になったんやさかい」

「そうなんでしょうか?私は、『松田耕平』さんの息子の『松田元』さんと県人会でお会いしたことがあるくらいで、『松田』家とは直接、関係を持っていませんが、『松田』家は、『トーヨー』に拘りをお持ちではないかと思っています」

「ま、どうでもええんやが、どういうことや?」

「先生は、『カープ』をご存じですか?」



(続く)




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