2022年9月9日金曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その260]

 


「やっぱり東京の人は違うんじゃねえ。外人とおんなじなんじゃねえ」


1967年4月、広島市立牛田中学校1年X組の教室、放課後、英語を教えてもらおうとビエール少年を囲む数人の女子生徒の一人が、如何にも感心したといった様子で、そう云った。


「いや、ボクは東京じゃなくって…」

「ほうよね。トンミーくんは、『ユーベ』におっちゃんってんよ。東京の人もチーズは食べよってみたいじゃけど」


と云いながら、少女『トシエ』はまた、東京の親戚が送ってきたチーズの臭いを鼻腔に思い出していた。


「チーズいうたら、ジェリーが食べとるんじゃろ?」

「そりゃ、ジェリー藤尾は外人じゃけえ、チーズ食べるんじゃろ」

「何云うとるん!ジェリー藤尾は、日本人よねえ。お母さんは、外人さんらしいけど」

「ジェリー藤尾の『遠くへ行きたい』いう唄、ええよねえ」


女子生徒たちは、英語を習うことも忘れ、ビエール少年の頭上に言葉を交わした。


その数年前に(1967年に)、NHKの番組『夢で逢いましょう』の『今月の歌』となった『遠くへ行きたい』がヒットしていた。テレビの旅番組『遠くへ行きたい』は、それから3年後に(1970年に)始まるのであった。


「あんたら、何ねえ、チーズ食べるんは、ジェリー藤尾じゃないけえ。『トムとジェリー』のジェリーよね」


アメリカのテレビ・アニメの『トムとジェリー』は、その3年前に(1964年に)、日本でも放送が開始されていた。




「ああ、あの可愛いネズミ、チーズ食べとった、食べとったあ」

「でも、あのチーズ、ジェリーが食べるけえ、穴だらけじゃったよねえ?」

「いや…」


喧しい女子生徒たちの言葉の交差の中に、恐る恐る、そして、弱々しく、ビエール少年が、声を発した。



(続く)




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