「いや、『ヤクルト』は、飲むチーズではなくって...」
と、ただ否定することしかできず、ビエール少年には、継ぐ言葉が見つからなかった。
1967年4月、広島市立牛田中学校1年X組の教室、放課後、英語を教えてもらおうと、数人の女子生徒が、ビエール少年をとり囲んでいた。
「ほいじゃけど、『ヤクルト』は、『乳酸菌』なんじゃろ?じゃけえ、チーズなんじゃないん?」
ビエール少年に継ぐ言葉が見つけさせない女子生徒は、非論理的論理を展開してきた。
「あのお、『ヤクルト』が『乳酸菌』なんじゃなく、『乳酸菌』が入った飲み物が『ヤクルト』で…」
ビエール少年は、また言葉を詰まらせた。
「じゃけえ、云うたじゃろうがいねえ。『ヤクルト』は、小さい瓶に入っとる甘い飲みもんなんよ。チーズは入っとらん思うよ」
皆実町の祖母の家で『ヤクルト』を飲んだことがあるという女子生徒が、非論理的論理を展開する友人を叱責した。
「ほうなん。なんか『ヤクルト』はジュースみたいなんかねえ?」
「うーん、そこはよう分らんけど、甘うて美味しい飲みもんじゃけえ、ジュースいうたらジュースかもしれん。量が少な過ぎるう思うけどねえ」
「臭うはないん?」
臭いに拘る少女『トシエ』が訊いた。
「全然、臭うはないよおね」
「じゃあ、『ヤクルト』にゃあ、やっぱりチーズは入っとらんのんじゃね」
「あのお….チーズがみんな臭い訳ではないんだ」
ビエール少年が、女子生徒たちの会話に、恐々と割って入ってきた。
(続く)
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