「え?『えべっさん』?」
と、女子生徒の一人が、か細く何かを云ったビエール少年に反応した。
1967年4月、広島市立牛田中学校1年X組の教室、放課後、英語を教えてもらおうと、数人の女子生徒が、ビエール少年をとり囲んでいた。
「は?」
ビエール少年は、自分に向って言葉を発した女子生徒が何を云ったのか聞き取れなかった。
「『えべっさん』は、ウチ、楽しみにしとるけど、チーズいうんを屋台でで売っとるん見たことないけえ。それに、ありゃ、11月じゃけえ」
ビエール少年は、トムとジェリー』のジェリーが食べるチーズは、『エメンタル』だ、と云ったのであったが、か細い声であったからか、聞いたことのない言葉であったからか、女子生徒は、『エメンタル』の『エ』だけを聞き取り、広島の『胡子(えびす)神社』で11月に開催されるお祭り『胡子講』のことと捉えたのであった。
「え?『あべ…さん』?」
「んや、『アベベ」じゃのうて、『えべっさん』よおね。トンミーくん、『えべっさん』知らんのん?熊手買うたことないん?」
『胡子(えびす)神社』に祀られる『えびす神』は、商売繁盛の神なので、『えべっさん』では熊手が売られる。『広島熊手』という独自の熊手である。先端に七福神になぞらえて七宝がついている。
「『バド』は広島に来たばっかりじゃけえ、『えべっさん』は知らんよおね」
少女『トシエ』が、ビエール少年を庇った。
「ボクが云ったのは、『エメンタル』だよ」
ビエール少年は、さっきよりは少しだけ強い声で、そう云った。
(続く)
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