「え?ホッチキス?」
と、女子生徒の一人が、『ホスチア』という言葉を発したビエール少年の想定通りに、聞き違えてきた。
1967年4月、広島市立牛田中学校1年X組の教室、放課後、英語を教えてもらおうと、数人の女子生徒が、ビエール少年をとり囲んでいた。
「ホッチキスを口に入れたら、痛いじゃろうに」
「アンタあ、何云いよるん!ホッチキスを口に入れるはずないじゃろう。『バド』は、『ホス』なんとかいうパンじゃあ、云うちゃったんよ」
少女『トシエ』は、自分は如何にもビエール少年側の人間然とした云い方をする。
「ああ、その『ホス』なんとかいうパンと一緒に、チーズを食べるんねえ。それが、ジェリーが食べよるチーズなんじゃね?」
「いや、『ホスチア』と一緒にチーズは食べないよ。『聖体拝受』の儀式の後に食事会に行ったりしたら、そこではチーズが出るのかもしれないけど。あ、『ホスチア』っていうのは、カトリックの場合だからね」
「え?『ホス』なんとかいうパンは、加藤さんが作っとるん?」
「は?いや…」
「加藤のパンいうん、聞いたことないねえ。ウチ、『ナガイのパン』が好きじゃ」
広島には、『ナガイのパン』がある(現在の『株式会社ナガイパン』のパンである)。『ナガイのパン』の永井社長は、ビエール少年が広島に引越してくる前、広島市立皆実小学校のPTA会長もしていた。
「ウチは、『タカキ』のパンがええ思うんよ」
『タカキ』は、『タカキベーカリー』のことであった。『タカキベーカリー』は、今、全国展開する『アンデルセン』の会社である(現在は、グループ名を『アンデルセングループ』としている)。
その年(1967年である)の10月、『タカキベーカリー』は、被爆建物である三井銀行広島支店のビルを買い取り、『アンデルセン』を開店することになるであった。更に、1972年には、フランチャイズ店舗の『リトルマーメイド』の展開を始めるのである。
「いや、『ホスチア』は、加藤のパンじゃないし、『ナガイ』のパンでも、『タカキ』のパンでもないんだ。それに、パンといっても煎餅みたいな感じだし…」
ビエール少年は、無理と思いつつも、女子生徒たちの誤解を解こうとしたのであったが……
(続く)
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