「(『ジョー』が、『同志社』の『創立者』って……あ!)」
と、ビエール・トンミー氏の脳裡に、定かな記憶にはなく、その音だけが残る、ある人物の名前が浮かび、ビエール・トンミー氏は、その人物の名前を友人のエヴァンジェリスト氏に恐々とiMessageで送った。
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「『ニイジマ・ジョー』か?」
「そうじゃろうがいねえ。『新島襄』さんよおね」
「そうかあ、『新島襄』が、『同志社』の創立者なんやな」
「アンタも態とらしいのお。知っとったくせに」
「でも、何で『新島襄』が出てくんのや?『新島襄』が何で『モアイ像』を建てんのや?」
「ワシを揶揄いんさんなよ。ワシ、怒るで!アンタが、『新島』のこと云うてきたんじゃないねえ、渋谷の『モアイ像』のことで」
「はああー!?...ああ、ワテは、『新島襄』や云うてへんで。『新島』て云うたんや」
「じゃけえ、『新島襄』さんじゃろう?」
「ちゃうで」
「他に、『新島』いう人、ワシ、知らんけえ。あ!『けえ』じゃない」
「は?『けえ』じゃない?さっぱりワヤヤ、分らしまへん」
「『けえ』じゃのうて『やえ』じゃ」
「んん?『知らんけえ』やのうて『知らんやえ』か?そないな広島弁あったかいな?」
「まあ、『やえ』やったんは、広島の女じゃけどのお」
「アンサン、もう云うてることが滅茶苦茶やで。ま、今に始まったことやあらへんけど」
「小学校は、『広島市立川内小学校』、中学は、『広島市立城南中学校』、高校は途中で『堀越高校』に転向しとるけど、広島時代は、『広島市立祇園北高校』じゃったそうじゃけえ、アンタの住んどった牛田に近いじゃろうがいねえ」
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「(はああ?『川内小学校』も『城南中学校』も知らないぞ。まあ、『祇園北高校』も知らないけど、『祇園』という地名は知っている)」
と、ビエール・トンミー氏は、牛田にいた頃のまだウブだった(でも、変態の萌芽はなくはなかった)、学生服姿の自分の姿を思い出していた。
(続く)
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