2022年5月7日土曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その221]

 


「『ハンマー』って知ってるか?」


と、『少年』の父親は、『少年』に、『サンマー』から遠ざけるような言葉を投げかけた。『牛田新町一丁目』のバス停を背にし、家族と共に、自宅へと向っているところであった。


「え?『ハンマー』って、『カナヅチ』?いや、『カナヅチ』より大きいのかなあ?」


『少年』は、なんとか『ハンマー』のイメージを思い浮かべようとした。




「『カナヅチ』も『ハンマー』だが、『ハンマー』の打つところは、金属とは限らないから、『ハンマー』は、『槌』だな」

「まさか、『ハンマー』も本当は、『ハマー』だって云うの?」

「そうだ」


『少年』の父親は、一言、答えた。


八丁堀から牛田まで、随分、時間がかかったような気がする、と『少年』は疑問に思ったのであった。八丁堀から牛田まではバスで10分から15分くらいしかかからないのに、そんな時間ではとてもし切れない程のボリュームの話を父親から聞いたことを訝しく思い、その疑問に対し、『少年』の父親は、『アインシュタイン』の『相対性理論』を持ち出し、時間の進み方が遅かったのかもしれない、と答えた。しかし、『少年』はまだ納得できていないからか、『少年』の父親は、『閏年』があること、更には、『閏年』になるはずの年でも『閏年』にならない年もあることから、『1年』という時間は一定ではないと主張したものの、『少年』は、どこか誤魔化されている感を拭えないでいた。そこで、『少年』の父親は、日付変更線を越えることで、『昨日』にも『明日』にも行ける、と説明したかと思ったら、次に、1時間だけだが、日付変更線を越えなくても、『未来』や『過去』に行ける、とまで云い出した。それに対し、『少年』は、未来や過去を絵に描けばいい、そして、その未来を予見するには、自らが未来を創ればいい、と主張し、その慧眼に『少年』の父親は、驚きと共に喜びを表したが、またまた、アメリカやイタリア等は、強制的に1時間先の未来に連れて行かれたり、1時間昔に戻されたりすることがある、それも一瞬にして、と謎のようなことを云い出し、日本でもかつてそうであったことがあり、『4月か5月の第1土曜日の夜中24時に、1時間先の未来に連れて行かれ、9月の第2土曜日の25時になると、1時間昔に戻される』と法律で決められていたと説明した。しかし、『少年』には、『1時間先の未来に連れて行かれ、1時間昔に戻される』その『間』が何であるのか、理解できず、父親に訊いたところ、『サンマータイム』という返事があり、そこから『秋刀魚』という漢字の由来や、『さんま』は一文字の漢字では、魚偏に『祭』と書くこと等、『さんま』の漢字談義へと派生していっていたが、『少年』は、『サンマータイム』とは何か、という疑問に立ち戻り、『サンマータイム』を定めた法律は、正式には、『夏時刻法』と、『少年』の父親は、説明した。ところが、『少年』と『少年』の父親の会話は、そこから、『サンマー』が、実は『サマー』と発音するものであることから、英語の発音談義への移って行こうとしていた。


「ええー!?そんなあ。『ハマー』って、変だよお」

「『チャンネル』だってそうなんだぞ」

「は?テレビの『チャンネル』のこと?」

「ああ、『チャンネル』は、テレビだけではないが、あれも本当は、『チャネル』なんだ」

「うそー!『チャンネル』が、『チャネル』なの?でも、どうして、そんな風になるの?」


と云う『少年』の表情には、納得のいかなさが如実に現れていた。



(続く)




2022年5月6日金曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その220]

 


「『さんま』の時間、って、どういうことなの?」


と、『少年』は、しばらく続いた『さんま』の漢字談義に惑わされることなく、父親に問い質した。『牛田新町一丁目』のバス停を背にし、家族と共に、自宅へと向っているところであった。


「『4月か5月の第1土曜日の夜中24時から、9月の第2土曜日の25時までが、『さんま』の時間、って、どういうことなの?その期間しか、法律で、『さんま』を食べちゃいけないことになってたの?」


『少年』の質問は、質問ではなく、抗議といってもいいものであった。


八丁堀から牛田まで、随分、時間がかかったような気がする、と『少年』は疑問に思ったのであった。八丁堀から牛田まではバスで10分から15分くらいしかかからないのに、そんな時間ではとてもし切れない程のボリュームの話を父親から聞いたことを訝しく思い、その疑問に対し、『少年』の父親は、『アインシュタイン』の『相対性理論』を持ち出し、時間の進み方が遅かったのかもしれない、と答えた。しかし、『少年』はまだ納得できていないからか、『少年』の父親は、『閏年』があること、更には、『閏年』になるはずの年でも『閏年』にならない年もあることから、『1年』という時間は一定ではないと主張したものの、『少年』は、どこか誤魔化されている感を拭えないでいた。そこで、『少年』の父親は、日付変更線を越えることで、『昨日』にも『明日』にも行ける、と説明したかと思ったら、次に、1時間だけだが、日付変更線を越えなくても、『未来』や『過去』に行ける、とまで云い出した。それに対し、『少年』は、未来や過去を絵に描けばいい、そして、その未来を予見するには、自らが未来を創ればいい、と主張し、その慧眼に『少年』の父親は、驚きと共に喜びを表したが、またまた、アメリカやイタリア等は、強制的に1時間先の未来に連れて行かれたり、1時間昔に戻されたりすることがある、それも一瞬にして、と謎のようなことを云い出し、日本でもかつてそうであったことがあり、『4月か5月の第1土曜日の夜中24時に、1時間先の未来に連れて行かれ、9月の第2土曜日の25時になると、1時間昔に戻される』と法律で決められていたと説明した。しかし、『少年』には、『1時間先の未来に連れて行かれ、1時間昔に戻される』その『間』が何であるのか、理解できず、父親に訊いたところ、『サンマータイム』という返事があり、そこから『秋刀魚』という漢字の由来や、『さんま』は一文字の漢字では、魚偏に『祭』と書くこと等、『さんま』の漢字談義へと派生していっていたが、『少年』は今、『サンマータイム』とは何か、という疑問に立ち戻ったのであった。


「『サンマータイム』ってなあ、『秋刀魚』とは関係ないんだ」

「ええー!?」

「『サンマータイム』を定めた法律は、正式には、『夏時刻法』なんだ」

「じゃあ、『サンマー』って、夏のこと?夏って、英語で『サンマー』じゃなく『サマー』じゃないの?」

「ああ、今では、大体の人が、『サマー』と云うだろうなあ」

「へええ、昔の人って、夏のことを『サンマー』って云ってたんだあ。変なのお」




「いや、戦前から『サンマー』とは云っていたんだが、昔って云っても、戦後まもなくのことだから、そんな昔ではないんだぞ。それに最近でも、『谷崎潤一郎』は小説の中で『サンマー』って使っているんだ」

「『谷崎潤一郎』って、奥さんが、『秋刀魚の歌』のあの『佐藤春夫』と…?」

「っ…そうだ。あの『谷崎潤一郎』が、『瘋癲老人日記』という小説の中で、『《サンマーイタリアンファッション》ノ陳列ガアッテ』と書いているんだ」

「ふううん、でも、『サマー』を『サンマー』って云うのは、変だよお」

「ところがなあ…」


と、『少年』の父親は、なおも『サンマー』への拘りのようなものを見せた。



(続く)




2022年5月5日木曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その219]

 


「『コノシロ』の場合もあるんだよ」


と、『少年』の父親は、『少年』の混乱を恐れず、そう云った。『牛田新町一丁目』のバス停を背にし、家族と共に、自宅へと向っているところであった。


「えっ?!」


『少年』は、あからさまに眉間に皺を寄せた。


「『コハダ』は『コノシロ』なんだよ」


と、『少年』の父親は、日本語でないようだが、知っている人からしたら、当り前の日本語でしかないことを口にした。


八丁堀から牛田まで、随分、時間がかかったような気がする、と『少年』は疑問に思ったのであった。八丁堀から牛田まではバスで10分から15分くらいしかかからないのに、そんな時間ではとてもし切れない程のボリュームの話を父親から聞いたことを訝しく思い、その疑問に対し、『少年』の父親は、『アインシュタイン』の『相対性理論』を持ち出し、時間の進み方が遅かったのかもしれない、と答えた。しかし、『少年』はまだ納得できていないからか、『少年』の父親は、『閏年』があること、更には、『閏年』になるはずの年でも『閏年』にならない年もあることから、『1年』という時間は一定ではないと主張したものの、『少年』は、どこか誤魔化されている感を拭えないでいた。そこで、『少年』の父親は、日付変更線を越えることで、『昨日』にも『明日』にも行ける、と説明したかと思ったら、次に、1時間だけだが、日付変更線を越えなくても、『未来』や『過去』に行ける、とまで云い出した。それに対し、『少年』は、未来や過去を絵に描けばいい、そして、その未来を予見するには、自らが未来を創ればいい、と主張し、その慧眼に『少年』の父親は、驚きと共に喜びを表したが、またまた、アメリカやイタリア等は、強制的に1時間先の未来に連れて行かれたり、1時間昔に戻されたりすることがある、それも一瞬にして、と謎のようなことを云い出し、日本でもかつてそうであったことがあり、『4月か5月の第1土曜日の夜中24時に、1時間先の未来に連れて行かれ、9月の第2土曜日の25時になると、1時間昔に戻される』と法律で決められていたと説明した。しかし、『少年』には、『1時間先の未来に連れて行かれ、1時間昔に戻される』その『間』が何であるのか、理解できず、父親に訊いたところ、『サンマータイム』という返事があり、そこから『秋刀魚』という漢字の由来、『佐藤春夫』の詩『秋刀魚の歌』へと話は派生していっていたが、

『さんま』を漢字でどう書くのか、という質疑に戻り、『少年』の父親は、ようやく、『さんま』を一文字の漢字では、魚偏に『祭』と書くことを説明したものの、どうやら、その漢字は、本来、『コノシロ』を指すものであったようであった。ところが、『少年』の父親は、『少年』を混乱させかねないことを云い出してきたのであった。しかし…


「あ~あ、出世魚っていうの、それ?」

「おっ…出世魚を知っていたか!そうだ。『コノシロ』は出世魚で、小さい時が『コハダ』なんだ。その『コハダ』を魚偏に『祭』と書くんだ」




「どうして、『コハダ』の漢字を『さんま』にしちゃったの?」

「漢字っていうのは、まさに『漢』の『字』で、中国の文字だっていうこと知っているだろ?でもな、中国には、『さんま』を表す漢字がなかったんだよ」

「え?中国には、『さんま』はいないの?」

「いなくはないんだろうが、『さんま』を食べる習慣がないようなんだ」


と、『少年』の父親が、『少年』に説明したのは、1967年である。後に、中国や台湾でも『さんま』が食べられるようになり、そのせいで、日本の『さんま』漁獲高が減ったとも云われるようになるとは、その時、思いもしなかった。


「へええ、勿体無い話だね。『さんま』って美味しいのにね。でもお…」


と、『少年』は、『ペコちゃん』のように舌を口の横に出しながらも、首を傾げた。



(続く)






2022年5月4日水曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その218]

 


「『コハダ』って、知っているか?」


と、『少年』の父親は、少し笑みを浮かべながら、そう云った。『牛田新町一丁目』のバス停を背にし、家族と共に、自宅へと向っているところであった。


「確かあ…お寿司の魚じゃない?なんか、銀色の?」


と、『少年』の方は、眉間に少しシワを作りながら、そう云った。


「そうだ。酢と塩とでしめて握るやつだ。ああ、『コハダ』は旨い!」

「ボクは、『穴子』が好きだなあ。甘くって」


宇部市琴芝時代、と云っても、前日までのことであったが、『少年』は、両親、妹と共に、父親が仕事関係で使っていた寿司屋によく連れて行ってもらった。その時も、『穴子』を好んで食べた。また、父親が、その寿司屋で買ってほろ酔い加減で、持ち帰る折詰の寿司でも、『穴子』を好んで食べた。




「『鯵』も旨いぞ」

「『イクラ』だって、美味しいよ。『卵』も好きだなあ。お寿司屋さんの『卵』って、なんか違うよね。あ….いや、魚偏に『祭』と書く漢字は、『コハダ』だったの?でも、どうして?」


と、『少年』は、頭を振って、考えから寿司を消し、我を取り戻し、父親に訊いた。


八丁堀から牛田まで、随分、時間がかかったような気がする、と『少年』は疑問に思ったのであった。八丁堀から牛田まではバスで10分から15分くらいしかかからないのに、そんな時間ではとてもし切れない程のボリュームの話を父親から聞いたことを訝しく思い、その疑問に対し、『少年』の父親は、『アインシュタイン』の『相対性理論』を持ち出し、時間の進み方が遅かったのかもしれない、と答えた。しかし、『少年』はまだ納得できていないからか、『少年』の父親は、『閏年』があること、更には、『閏年』になるはずの年でも『閏年』にならない年もあることから、『1年』という時間は一定ではないと主張したものの、『少年』は、どこか誤魔化されている感を拭えないでいた。そこで、『少年』の父親は、日付変更線を越えることで、『昨日』にも『明日』にも行ける、と説明したかと思ったら、次に、1時間だけだが、日付変更線を越えなくても、『未来』や『過去』に行ける、とまで云い出した。それに対し、『少年』は、未来や過去を絵に描けばいい、そして、その未来を予見するには、自らが未来を創ればいい、と主張し、その慧眼に『少年』の父親は、驚きと共に喜びを表したが、またまた、アメリカやイタリア等は、強制的に1時間先の未来に連れて行かれたり、1時間昔に戻されたりすることがある、それも一瞬にして、と謎のようなことを云い出し、日本でもかつてそうであったことがあり、『4月か5月の第1土曜日の夜中24時に、1時間先の未来に連れて行かれ、9月の第2土曜日の25時になると、1時間昔に戻される』と法律で決められていたと説明した。しかし、『少年』には、『1時間先の未来に連れて行かれ、1時間昔に戻される』その『間』が何であるのか、理解できず、父親に訊いたところ、『サンマータイム』という返事があり、そこから『秋刀魚』という漢字の由来、『佐藤春夫』の詩『秋刀魚の歌』へと話は派生していっていたが、

『さんま』を漢字でどう書くのか、という質疑に戻り、『少年』の父親は、ようやく、『さんま』を一文字の漢字では、魚偏に『祭』と書くことを説明したものの、どうやら、その漢字は、本来、別の魚のことを指しているようであったのだ。


「いや、『コハダ』じゃないんだ」

「え???」

「『コノシロ』なんだよ、魚偏に『祭』と書く魚は」

「じゃあ、何故、話に『コハダ』が出てくるの?」


という『少年』の言葉には、若干、怒りが含まれているようでもあった。


(続く)




2022年5月3日火曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その217]

 


「魚偏に『祭』と書いたようなんだ」


と、『少年』の父親は、ようやく『少年』の質問に答える。『牛田新町一丁目』のバス停を背にし、家族と共に、自宅へと向っているところであった。


「え?『まつり』?あのお祭りの『祭』?」


『少年』は、頭の中で『』という文字を思い浮かべた。


「そうだ、その『祭』だ」

「まさか、『さんま』が獲れたら、お祭りでもするからじゃないよね?」




「おお、そうだ。まさにその通りなんだ」


と、『少年』の父親は、眼を見開いて、『少年』に答えた。


八丁堀から牛田まで、随分、時間がかかったような気がする、と『少年』は疑問に思ったのであった。八丁堀から牛田まではバスで10分から15分くらいしかかからないのに、そんな時間ではとてもし切れない程のボリュームの話を父親から聞いたことを訝しく思い、その疑問に対し、『少年』の父親は、『アインシュタイン』の『相対性理論』を持ち出し、時間の進み方が遅かったのかもしれない、と答えた。しかし、『少年』はまだ納得できていないからか、『少年』の父親は、『閏年』があること、更には、『閏年』になるはずの年でも『閏年』にならない年もあることから、『1年』という時間は一定ではないと主張したものの、『少年』は、どこか誤魔化されている感を拭えないでいた。そこで、『少年』の父親は、日付変更線を越えることで、『昨日』にも『明日』にも行ける、と説明したかと思ったら、次に、1時間だけだが、日付変更線を越えなくても、『未来』や『過去』に行ける、とまで云い出した。それに対し、『少年』は、未来や過去を絵に描けばいい、そして、その未来を予見するには、自らが未来を創ればいい、と主張し、その慧眼に『少年』の父親は、驚きと共に喜びを表したが、またまた、アメリカやイタリア等は、強制的に1時間先の未来に連れて行かれたり、1時間昔に戻されたりすることがある、それも一瞬にして、と謎のようなことを云い出し、日本でもかつてそうであったことがあり、『4月か5月の第1土曜日の夜中24時に、1時間先の未来に連れて行かれ、9月の第2土曜日の25時になると、1時間昔に戻される』と法律で決められていたと説明した。しかし、『少年』には、『1時間先の未来に連れて行かれ、1時間昔に戻される』その『間』が何であるのか、理解できず、父親に訊いたところ、『サンマータイム』という返事があり、そこから『秋刀魚』という漢字の由来、『佐藤春夫』の詩『秋刀魚の歌』へと話は派生していっていたが、

『さんま』を漢字でどう書くのか、という質疑に戻り、『少年』の父親は、ようやく、『さんま』を魚偏ではどう書くのか、説明したのではあったが…


「江戸時代、『さんま』が沢山獲れて、市場に並ぶと、お祭り騒ぎになったことから、魚偏に『祭』と書く漢字をと『さんま』としたようなんだけどな…」


と、『少年』の父親の言葉に含みのあることを、慧眼な『少年』は見逃さない。


「え?『さんま』を漢字で魚偏に『祭』と書くようにしたんじゃなくって、魚偏に『祭』と書く漢字をと『さんま』としたの?」

「おお、気付いたか」

「それって、先に、魚偏に『祭』と書く漢字があったということになるんじゃないの」

「そうだな」

「じゃあ、魚偏に『祭』と書く漢字は、元々は、『さんま』じゃなくって、別の意味、というか、読み方があったの?あ、魚偏だから、ひょっとして別の魚のことだったの?」


(続く)





2022年5月2日月曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その216]

 


「『さんま』が、『秋』の『刀』の『魚』と書かれるようになる前も、『さんま』の漢字はなくはなかったんだ」


と、『少年』の父親は、『少年』の質問に答える。『牛田新町一丁目』のバス停を背にし、家族と共に、自宅へと向っているところであった。


「例えば、『夏目漱石』は、漢数字の『三』に『馬』と書いて、『さんま』としているし、江戸時代に書かれた『本朝食鑑』(ほんちょうしょっかん)という食物に関する本には、漢数字の『三』に『摩擦』の『摩』と書いて、『さんま』としているようなんだ」


と、『少年』の父親は、またしても博識ぶりを見せた。


八丁堀から牛田まで、随分、時間がかかったような気がする、と『少年』は疑問に思ったのであった。八丁堀から牛田まではバスで10分から15分くらいしかかからないのに、そんな時間ではとてもし切れない程のボリュームの話を父親から聞いたことを訝しく思い、その疑問に対し、『少年』の父親は、『アインシュタイン』の『相対性理論』を持ち出し、時間の進み方が遅かったのかもしれない、と答えた。しかし、『少年』はまだ納得できていないからか、『少年』の父親は、『閏年』があること、更には、『閏年』になるはずの年でも『閏年』にならない年もあることから、『1年』という時間は一定ではないと主張したものの、『少年』は、どこか誤魔化されている感を拭えないでいた。そこで、『少年』の父親は、日付変更線を越えることで、『昨日』にも『明日』にも行ける、と説明したかと思ったら、次に、1時間だけだが、日付変更線を越えなくても、『未来』や『過去』に行ける、とまで云い出した。それに対し、『少年』は、未来や過去を絵に描けばいい、そして、その未来を予見するには、自らが未来を創ればいい、と主張し、その慧眼に『少年』の父親は、驚きと共に喜びを表したが、またまた、アメリカやイタリア等は、強制的に1時間先の未来に連れて行かれたり、1時間昔に戻されたりすることがある、それも一瞬にして、と謎のようなことを云い出し、日本でもかつてそうであったことがあり、『4月か5月の第1土曜日の夜中24時に、1時間先の未来に連れて行かれ、9月の第2土曜日の25時になると、1時間昔に戻される』と法律で決められていたと説明した。しかし、『少年』には、『1時間先の未来に連れて行かれ、1時間昔に戻される』その『間』が何であるのか、理解できず、父親に訊いたところ、『サンマータイム』という返事があり、そこから『秋刀魚』という漢字の由来、『佐藤春夫』の詩『秋刀魚の歌』へと話は派生していっていたが、今また、

『さんま』を漢字でどう書くのか、という質疑に戻っていた。


「ふううん、『さんま』に、魚偏の漢字はなかったの?」

「なくはなかったんだ」

「魚偏に『秋』って書くの?」


『少年』は、頭の中で『鰍』という文字を思い浮かべた。


「それは、『カジカ』だ」

「んふ?『カジカ』って、カエルじゃないの?」

「ああ、『カジカ』は、そうだ、『カジカガエル』といってカエル一種だな。でも、それは、『河』(さんずいがわ)に『鹿』って書くんだ。魚偏に『秋』ノ『カジカ』は、魚で、鳴くというか、何か音を出すようで、それが『カジカガエル』に似ているから、そういう名前になったともされているらしい」

「でも、どうして、魚偏に『秋』なの?秋に獲れて美味しいから?」

「はっきりは知らないが、確かに、秋に獲れるからともされているし、実は、『ドジョウ』に似ているからともされているようだ」




「ええ?どうして、『ドジョウ』に似ていたら、魚偏に『秋』になるの?」

「ああ、すまん、すまん。説明が抜けていたな。中国では、魚偏に『秋』と書く魚は、『ドジョウ』なんだよ。尤も、中国の『ドジョウ』は、日本の『ドジョウ』とは違う、と聞いた気もするが...」

「じゃあ、結局、『さんま』は、魚偏では、どんな漢字なの?」



(続く)




2022年5月1日日曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その215]

 


「『さんま、さんま さんま苦いか塩つぱいか』だなあ」


と、『少年』の父親は、歌うように、呟くような言葉を『少年』に向けた。『牛田新町一丁目』のバス停を背にし、家族と共に、自宅へと向っているところであった。


「え?」

「『秋刀魚の歌』だ。『佐藤春夫』の詩だ」


と、『少年』の父親は、秋刀魚を食べた時のように、少し苦い表情を浮かべ、そう云った。


八丁堀から牛田まで、随分、時間がかかったような気がする、と『少年』は疑問に思ったのであった。八丁堀から牛田まではバスで10分から15分くらいしかかからないのに、そんな時間ではとてもし切れない程のボリュームの話を父親から聞いたことを訝しく思い、その疑問に対し、『少年』の父親は、『アインシュタイン』の『相対性理論』を持ち出し、時間の進み方が遅かったのかもしれない、と答えた。しかし、『少年』はまだ納得できていないからか、『少年』の父親は、『閏年』があること、更には、『閏年』になるはずの年でも『閏年』にならない年もあることから、『1年』という時間は一定ではないと主張したものの、『少年』は、どこか誤魔化されている感を拭えないでいた。そこで、『少年』の父親は、日付変更線を越えることで、『昨日』にも『明日』にも行ける、と説明したかと思ったら、次に、1時間だけだが、日付変更線を越えなくても、『未来』や『過去』に行ける、とまで云い出した。それに対し、『少年』は、未来や過去を絵に描けばいい、そして、その未来を予見するには、自らが未来を創ればいい、と主張し、その慧眼に『少年』の父親は、驚きと共に喜びを表したが、またまた、アメリカやイタリア等は、強制的に1時間先の未来に連れて行かれたり、1時間昔に戻されたりすることがある、それも一瞬にして、と謎のようなことを云い出し、日本でもかつてそうであったことがあり、『4月か5月の第1土曜日の夜中24時に、1時間先の未来に連れて行かれ、9月の第2土曜日の25時になると、1時間昔に戻される』と法律で決められていたと説明した。しかし、『少年』には、『1時間先の未来に連れて行かれ、1時間昔に戻される』その『間』が何であるのか、理解できず、父親に訊いたところ、『サンマータイム』という返事があり、そこから『秋刀魚』という漢字の由来、『佐藤春夫』の詩『秋刀魚の歌』へと話は派生していっていたのである。


「ふううん、『さんま』が詩になるんだあ」

「ああ、『さんま』を独り食べながら、好きな女性とその娘と『さんま』を食べた時のことを詠った、切ない詩だ」

「『好きな女性とその娘』って、奥さんと娘?それが、切ないの?切ないって、なんだかよく分からないけど」

「ああ、『谷崎潤一郎』の奥さんと娘だけどな」

「『たにざき・じゅんいちろう』って、聞いたことあるような気はするけど」

「有名な小説家だ。『佐藤春夫』は、『谷崎潤一郎』の推薦で文壇デビューしたようなものだったんだ」

「へ?...お世話になった人の奥さん…?」

「んまあ、そこは色んなことがあったんだけど、結局は、『佐藤春夫』は、その『谷崎潤一郎』の奥さんと結婚したんだ。だが、問題は、『秋刀魚の歌』の内容ではなく、その漢字だ」


『少年』の父親は、『谷崎潤一郎』と『佐藤春夫』との間の、所謂、『細君譲渡事件』を、小学校を卒業したばかりの『少年』に説明するのを憚り、話を『秋刀魚』という漢字に戻した。




「『秋刀魚の歌』という詩の題名の『さんま』は、『秋』の『刀』の『魚』と書くんだが、『さんま』の漢字が、『秋』の『刀』の『魚』となって広まったのは、この『佐藤春夫』の『秋刀魚の歌』が切っ掛けだ、と云われているんだ」

「へええ、そうなんだ。じゃあ、それまでは、『さんま』には漢字はなかったの?」



(続く)