2017年8月12日土曜日

【道徳罪(中編)】記憶を辿っているうちに、ウンコで逮捕?





アストン・ワイキキ・ビーチ・タワー』(ASTON WAIKIKI BEACH TOWER)でのことも、ネタはあがっているんですよ!」

アストン・ワイキキ・ビーチ・タワー』と聞き、ビエール・トンミー氏は怯んだ。

「『アストン・ワイキキ・ビーチ・タワー』でのことは、覚えておいでですよね?」

目つきの決してよくない60歳前後の男が畳み掛けてきた。

「何のことだ?」
「ほほー、お得意のお惚けですか。では、先ず、訊きましょう。ホノルルのホテル『アストン・ワイキキ・ビーチ・タワー』に宿泊されたことはありますね?」
「いや、どうだったかなあ…」
「簡単な質問ですよ。私は、ただ、ホテル『アストン・ワイキキ・ビーチ・タワー』に宿泊されたことはあるかどうか、をお訊きしているだけなんですよ」

正体不明の男をビエール・トンミー氏は、週刊文春か、週刊新潮か、フライデーの記者かもしれない、と捉えていた。油断ならない。

「簡単な質問でしょ。『アストン・ワイキキ・ビーチ・タワー』に宿泊したこと、ありますよね?」
「私の記憶を辿る限り、ありません」
「そんな曖昧な答弁は、止めて頂きたい、国会審議じゃあないんだから。いいですか、もう一度、訊きます。アストン・ワイキキ・ビーチ・タワー』に宿泊したこと、ありますよね?」
「私の記憶を辿る限り、ありません」
「どうして、あんな超高級ホテルに泊ったかというと、会社の保養所として契約していて格安で泊まれたからですよね?」
「私の記憶を辿る限り、知りません」
「では、部屋について、お訊きしましょう。2ベットルーム、デラックススイート、オーシャンフロントビュー、キッチン付の超豪華な高層階の部屋でしたね」
「私の記憶を辿る限り、知りません」
「エレベーターは鍵をささないと止まらなかったのですよね?」
「私の記憶を辿る限り、知りません」
「テラスに出ると道を挟んで真下がワイキキビーチでしたね?」
「私の記憶を辿る限り、知りません」
「さて、ここからが本題です。最終日に、アストン・ワイキキ・ビーチ・タワー』の部屋のトイレにウンコを詰まらせましたね?」



「私の記憶を辿る限り、詰まらせていません」
「ただ詰まらせただけではなく、何も手当せずに黙ってチェックアウトして逃げましたね?」
「私の記憶を辿る限り、逃げていません」
「今、アストン・ワイキキ・ビーチ・タワー』は、かつて貴方が勤務していた会社と保養所の契約がなくなっていることはご存じですよね?」
「えっ!?」

ビエール・トンミー氏は、思わず、素な反応をしてしまった。

きっとウンコを詰まらせて逃げた従業員のいる会社とは契約解消だということになったのですね?」
「えっ、えっ、えっ!?」

ビエール・トンミー氏の顔は、ホテル『アストン・ワイキキ・ビーチ・タワー』のトイレをウンコで詰まらせた時のように青くなり、冷や汗までかいていた。

「超高級ホテルのトイレをウンコで詰まらせ、何も手当せずに黙ってチェックアウトして逃げるなんてこと、道徳的に許されないのではないですか!?」
「はあ?道徳的に?何をほざいている」

ビエール・トンミー氏は思わずムキになってしまっている。

「『ウイーン』でのことも、ネタはあがっているんですよ!」

ウイーン』と聞き、ビエール・トンミー氏は、目つきの悪い男を振り切って、自宅の門の中に入ろうとした。


(続く)





2017年8月11日金曜日

【道徳罪(前編)】パジャマで逮捕?




いつものようにパジャマを着て散歩をし、自宅に戻ったところであった。

「今、着用されているのは、パジャマですよね?」

門を開けようとしたところで、背後からいきなり質問を浴びせられた。

「は?」
「分ってるんですよ。それ、パジャマですよね?一見、普通の服のように見えなくもないですが、パジャマですよね」

振り向くと、目つきの決してよくない60歳前後の男であった。



「き、君は誰だ!?」
「パジャマを着て、外出していいんですか?」

男は、ビエール・トンミー氏の問いには答えようとせず、追求を続けた。

「失敬だな、君は!」
「ここは中国ではないんですよ、日本です」
「君は、文春か?それとも新潮か、フライデーか?」

週刊誌の記者のように思えたのだ。週刊誌記者の取材を受けた経験はなかったが、追及の仕方が、週刊誌の記者的に思えたのである。

「日本で、パジャマを着て、外出することは許されないと思いますよ!」
「パジャマを着て、外出してどこが悪い?何の罪になるというのだ!」

ビエール・トンミー氏は思わずムキになってしまっていた。

「道徳的に許されないのではないですか!?道徳的には、『逮捕』モノですよ」
「はあ?道徳的に?何をほざいている」
アストン・ワイキキ・ビーチ・タワー』でのことも、ネタはあがっているんですよ!」

アストン・ワイキキ・ビーチ・タワー』と聞き、ビエール・トンミー氏は怯んだ。


(続く)





2017年8月10日木曜日

アメリカに自由はあったか(その22=最終回)【米国出張記】







2001年9月11日、エヴァンジェリスト氏は、同僚のダイスケ氏と18:05発のANA便に乗って、庄内空港に向った。庄内空港には19:05頃に到着し、空港バスに乗り、鶴岡駅まで行った。翌日(9月22日)、鶴岡のお客様のところを訪問する為に前日入りしたのであった。出張であった。





鶴岡駅から数分のところにあるホテルにチェックインし、20時頃、二人は食事に出かけた。

食事を終えた二人が、22時になるところであった。

ホテルの部屋に戻ったエヴァンジェリスト氏は、テレビの電源を入れた。

そして、その時、テレビの画面に映し出されたものをエヴァンジェリスト氏は、しばらく、それが何であるのか理解できなかった。

飛行機が、どこかの高いビルに突入していったのだ

番組は、ニュースステーションであった。

ニュースステーションも、映像を流しながらも事態をよく認識できていないようであった。

エヴァンジェリスト氏の頭も混乱した。

それは、ドラマの映像なのか?ドラマにしても妙な場面であった。

程なくして、番組がニュースステーションであることが分った。ということは、その映像はニュース映像である。しかし、ニュースだとしても、見たことのない光景であった。

見たことがなくとも想像できる光景であれば、頭が混乱することはなかったが、想像できる範囲を超えた光景であった。

その混乱の渦に更にもう一つの混乱の渦が重なり、エヴァンジェリスト氏はただ呆然とテレビの映像を見ていた。

また飛行機がどこかの高いビルに突入していったのだ。

「?」

それは、先程の映像が再び流されたものであるのか?

….という疑問を抱いたのは、先程の光景に似ていたが、どこか少し違うような気がしたからであった。

ニュースステーションのアナウンスで、それが2機目のビルへの突入らしいことが分った。

ニュースステーションは、久米宏が不在の日の放送であったように思う。

ニュースステーションとしても、突然のニュースに事態把握は直ぐに、十分にはできないようであったが、やがてそれはニューヨークのことであり、ビルは『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』であることが分った。

『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』はツイン・タワーであり、2つのビルにそれぞれ飛行機が突入したらしいことも分った。

しかし、何故、飛行機が『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』に突入したのかは分らなかった。

事故であろうか?いや、『『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』』は超高層ビルではあるが、飛行機が飛ぶのはもっと高いところであるはずだ。

なのに、『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』に飛行機が突入したのは、飛行機に何らかの異常が生じ、制御不能となったからなのであろうか?

いやいや、もう一機が、ツイン・タワーのもう一つのビルに突入したらしいのだ。ほぼ同じ時間に、二つの飛行機が同じように制御不能となり、それぞれ超高層ビルに突入するなんて偶然があるであろうか?

事態が分ってきても、エヴァンジェリスト氏の頭は、混乱したままであった。いや、事態が分ってきた方がより混乱した。

その後、ペンタゴンにも飛行機が突入した等の情報が入ってきた。

米国で何が起きているのか?

………..そう、それは、後に『アメリカ同時多発テロ』と呼ばれるようになる事件が起きた日なのであった。

『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』は、周知の通り、飛行機突入後、ツイン・タワービルの両棟共、崩壊した。

ニュースステーションを見ながら、段々、テロかもしれないと思われ始め、エヴァンジェリスト氏は、翌日の庄内空港での手荷物検査を心配した。

ハイジャック等が起きると、その後の飛行機への搭乗の際のチェックが厳しくなるのだ。

翌日の搭乗の際のチェックもこれで厳しくなるかもしれない、と、『面倒臭いなあ』という思いを抱いたのだ。

そうしてもう一つの思いを、エヴァンジェリスト氏は抱いた。

「あの世界貿易センタービルが崩壊した…..」

ニューヨークの『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』を訪問したことがあったのだ。

そう、それは、『世界貿易センタービル』に飛行機が突入する10年程前であった。


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1989年6月、上司と共に、米国出張したエヴァンジェリスト氏は、ニューヨク滞在最後の日となる6月24日、その次の訪問先であるパリに向う前に、上司とニューヨークの散策に出掛けた。

宿泊した『Grand Hyatt New York』を出て、5thアヴェニュ、タイムズ・スクエア、そして、セントラルパーク付近を歩き、Wall Street(ウォール街)に行った。

そして、その後に、『トリニティ教会』、『US CUSTOM HOUSE』を経て、『バッテリー・パーク』まで行った。

『バッテリー・パーク』から海に向こうにある『自由の女神』を見た後、上司が云った

「世界貿易センタービルに行くぞ」

『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』のツイン・タワーは、『バッテリー・パーク』からもその聳え立つ姿を見ることができた。





エヴァンジェリスト氏は、『世界貿易センタービル』にも関心がなかった。有名なビルであったので、その存在は知ってはいたが、それはただ、ビルに過ぎないのだ。

しかし、実際に、『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』まで行き、その中に入ると、エヴァンジェリスト氏は、ここでも、何だか自分が世界を股にかける『デキル』ビジネスマンになった気がした。

だが、その時、エヴァンジェリスト氏が、『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』について、それ以上の感慨を抱くことはなかった。


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しかし、それから(1989年)から12年後、その『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』が飛行機突入により、あえなくも崩壊する様子を鶴岡のホテルで見た時、エヴァンジェリスト氏は

「あの世界貿易センタービルが崩壊した…..」

としみじみした思いを抱いたのであった。

『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』が崩壊する様子を見た時、ただただその異様さに圧倒されていた。

その時は、直ぐに、『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』の中には、大勢の人がいたはずであることに思いが到らなかった。

不謹慎だが、『スペクタクル』を見ている感覚であったのだ。

しかし、それは決して『スペクタクル』な映画ではなく、『現実』に起きたことであったのだ。

その事件は、後に、アルカイダによる『テロ』とされたようだが、本当にそうであるのかどうかは知らない。

『米国』による自作自演とする説もある。

『米国』による自作自演とは思いたくはないが、エヴァンジェリスト氏は、その可能性がなくはないような気はするのだ。

『米国』は、イラクが大量破壊兵器を所有しているとしてイラクを攻撃し、フセイン大統領を殺害したが、イラクが大量破壊兵器を所有しているという情報は誤った情報であった。

『米国』は、誤った情報に基づき、他国を攻撃し、その国の大統領を殺した国なのである。

日本の『真珠湾攻撃』にしても、『米国』は事前に知っていたという説をエヴァンジェリスト氏は聞いたこともある。真相は知らないが。

だから、エヴァンジェリスト氏は、アルカイダによる『テロ』とされたようだが、本当にそうであるのかどうかも分らない、と思う。

そして、そのこと以上に、今(2017年の8月)、エヴァンジェリスト氏は思うのだ。

『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』の崩壊が、『テロ』によるものだとしても思うのだ。


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『テロ』は卑劣であるが『戦争』はそうではないらしい。

普段、攻撃を受けないところが攻撃され、そこで被害者が出ると『惨事』として扱われる。

普段から戦闘があるところで死者が出ても、その方が死者が多くとも、『惨事』ではないのだ。

自身が攻撃した時には、それは『正義』であるが、攻撃された時には、攻撃をしてきた相手に『正義』はない、となる。攻撃した方が、『正義』だと思っていたとしても、それは問題ではないのだ。

敢えて云うが、『世界貿易センタービル』が崩れって行くところは、ショッキングでなものではあったが、『アレ』に比べたら大したことではない、とエヴァンジェリスト氏は思った。非難されるかもしれないが、そう思ったのだ。

『アレ』……….そう、『広島、長崎への原爆投下』に比べれば。

いや、『広島、長崎』の方が、『世界貿易センタービル』に比して、悲惨であったとは思わない。

『世界貿易センタービル』での被害者(死亡者数)は、3000人近いらしい。

広島の原爆での死者は、投下された年(1945年)で14万人であり、その後の死者を含めると、正確なところは不明のようだが、『原爆死没者名簿』に記載された人数では2017年で30万人にはなるらしい。被爆者の数は、それよりもずっと多い。

その数は、いずれにしても『世界貿易センタービル』での被害者数(死亡者数)の比ではない。

しかし、だからといって『ヒロシマ』の方が、『世界貿易センタービル』よりも『悲惨』であったとは思わない。

被爆して死ぬことが(殺されることが)、他の武器で、或いは、素手で殺されることより『悲惨』であるとは思わない。

『世界貿易センタービル』は『悲惨』である。しかし、『世界貿易センタービル』だけが『悲惨』なのではないのだ。

『米国』は、『戦争』により他国を攻撃した。『米国』は、『戦争』により他国を攻撃する。

そこでは、死者が出る。『戦争』は人を殺す行為なのだから、死者が出るのは、必然である。

一人でも死者が出れば、それは『惨事』である。死者数の問題ではない。

そのことを米国民は知っているのか、理解しているのか?

『米国』以外の国でも『戦争』により他国を攻撃したであろうし、『戦争』により他国を攻撃するであろう。

その国の民は、自国が行う『戦争』により死者が出ることを理解しているのか?

『戦争』は正義だから、死者が出ても仕方がないと考えるのか?

『テロ』は正義ではないから、死者が出ることは許されざるべきものと考えるのか?

『テロ』を行うものは、その行為を『テロ』と思っているのか?『戦争』だと思っているなら、その攻撃を受けた方は、『戦争』は正義だから、自国で死者が出ても仕方がないと考えるのか?

それとも、自国は『戦争』をしていいが、他国は、或いは、『国』は『戦争』をしていいが、『国』を形成していない組織は、或いは、個人は『戦争』をしてはならないのか?

『国』とは何なのか?実は、『国』の定義は難しいのだ。

例えば、北朝鮮は『国』であるのか?日本は、北朝鮮を『国』として認めていないが、『国』として認めている国もある。

かつての(返還前の)香港は、『国』であったのか?

『国と地域』という言葉がある。それは、『国』を定義することが容易ではないからだ。

『テロ』を行う者(或いは、その組織)は、自身の行為を『テロ』と思っているのか、或いは、『戦争』と思っているのか知らないが、正義の戦いとは思っているのであろう。では、正義の戦いであれば、その行為により死者を出してもいいのか?


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2017年の8月の今、エヴァンジェリスト氏はそう思う。

『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』を訪れた1989年6月24日、エヴァンジェリスト氏は、それから12年後にまさかその巨大なビルが飛行機突入によりあえなく崩壊するとは思っていなかった。

その崩壊により多くの犠牲者が出て、『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』が『惨事』の象徴となることを想像することは勿論、なかった。そこが『惨事』の象徴となることに将来、自身が違和感を覚えるようになるであろうとは思っていなかった。

ただ、その当時も(1989年だ)、米国民は、『ヒロシマ』の『現実』を知らされているのか、という疑問を抱いていた。もし、知らさせれていないとしたら、それが真に『自由』の国であるのか、エヴァンジェリスト氏はそう思った。

アメリカ(米国)に自由はあるのか、エヴァンジェリスト氏はそう思いながら、『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』を後にし、『米国』を後にし、JFK空港からパリに向って発っていったのであった。


(おしまい)



2017年8月7日月曜日

アメリカに自由はあったか(その21)【米国出張記】





その年の暮に『米国』が『パナマ侵攻』をすることをエヴァンジェリスト氏がまだ知らなかった1989年6月24日のことである。

世界一周の旅』(世界一周の出張)中のエヴァンジェリスト氏と上司とは、ニューヨークの『バッテリー・パーク』にいた。

米国に関心のないエヴァンジェリスト氏は、『バッテリー・パーク』の名前の由来を知らなかった。

『バッテリー・パーク』内にある銅像が、有名な『エイズ被害者のためのモニュメント』であることも知らなかった。

煉瓦造りの古い建物が、『キャッスル・クリントン・ナショナル・モニュメント』という米国の歴史を物語るものであることも知らなかった。

どんなに歴史があると云ったところで、たかだか200年程度であったし、『米国』を好きではなかったのだ(米国民を、ではなく、『米国』という国を、である)。

『米国』を独善的だと思うし、本当に『自由』の国なのであろうか、と思うのだ。

しかし、エヴァンジェリスト氏が『バッテリー・パーク』に来たのは、『自由』を見に来たのであった。

「ニューヨークと云えば、アレだろ」

上司はそう云って、エヴァンジェリスト氏を『バッテリー・パーク』に連れて来たのだ。

上司も、『バッテリー・パーク』に『エイズ被害者のためのモニュメント』があることや、『キャッスル・クリントン・ナショナル・モニュメント』があることを知らなかったであろう。

だから、そういったモニュメントをゆっくり見ることもなく、上司は、海岸に向って行った。

海岸に着き、その向こうにあるものを見ようとしたところ、声を掛けられた。

「すみません、写真撮って頂けますでしょうか」

日本人のアベックであった(今風に云うと、カップルだ)。こちらが日本人だと分ったようだ。

「あ、いいですよ」

上司が気前よく引き受けた。エヴァンジェリスト氏は自分が写真を撮ってあげようと思っていたところを上司がすかさずアベックに返事をしたのであった。

エヴァンジェリスト氏はなんだか気に喰わなかった。上司がいい人ぶっている感じがしたのだ。

上司は、悪い人とは思わないし、いい人と云えばいい人であるのだが、身勝手な人なのだ。自分の行きたいところにしか行かないし、通訳しないふりをして通訳をさせるし、二日酔いで仕事をすっぽかす人なのだ。

なのに、『あ、いいですよ』と云ってアベックの写真を撮ってやるのだ。

「あ、もうちょっと、こっちに寄って」

海を背にしたアベックの立ち位置の微調整までしてあげるのだ。

「有難うございます!」

アベックは感激して立ち去って行った。立ち去りながら、海の方を振り向いていた。

そうだ、アベックは、海の向こうにあるものを背にして写真を撮りたかったのだ。

海の向こうにあるものは、誰もが知るものであった。アメリカの象徴、ニューヨークの象徴であった。

『自由』の国の『米国』の象徴、『自由の女神』(Statue of Liberty)である。



『自由の女神』は、『米国』の象徴であるが、周知の通り、元々は『米国』のものではない(『米国』が『米国』の為に作ったののではない)。『米国』の独立100周年を記念して1886年に、フランスから寄贈されたものだ。

その返礼として、フランス在住のアメリカ人たちが、1889年にフランス革命100周年記念としてセーヌ川のグルネル橋のたもとに小さな『自由の女神』を建てており、この米国出張の後に行くパリでエヴァンジェリスト氏は、そこでもう一つの『自由の女神』も見ることになるのであった。

ニューヨークの『自由の女神』は、パリのそれよりもすっと大きい。しかし、『バッテリー・パーク』の海岸から見る『自由の女神』は、小さかった。




『自由の女神』は、『バッテリー・パーク』からはかなり離れているのだ。

だから、『自由の女神』をちゃんと見ようとすると、フェリーに乗ってリバティ島まで行くべきなのであろう。

二人の前を『自由の女神』を見る為にフェリー乗り場に向かうのであろう人々が流れて行っていた。




しかし、エヴァンジェリスト氏と上司とは、『自由の女神』を『バッテリー・パーク』から見るに留めた。

その日(1989年6月24日)、二人はパリに向け、出発することになっていたからだ。

そしてまた、可愛げのないエヴァンジェリスト氏は、ニューヨークの『自由の女神』にも興味がなかったのだ

『米国』には『自由』が本当にあるのか?

アメリカン・ドリームなるものがあるらしい。『米国』では、日本では叶わぬような『成功』を収めることも(大金儲けも)可能であるらしい。『自由』の国だからである。

しかし、米国民は本当に『自由』であるのか?

人種差別があったのではないのか?いや、それは『過去形』でいいのか?今は(1989年の今は)もう人種差別はないのか?

『自由』の国で何故、太平洋戦時下、日系米国人は強制収容されたのか(日系とはいえ、米国民だ)

米国民の多くが、広島・長崎への原爆投下を『是』としていると聞くが、彼らが、原爆投下の『真実』を知らされていないのではないのか?それが『自由』の国であるのか?




昭和29年生れのエヴァンジェリスト氏は、広島出身ではあるが、被曝はしていない。しかし、昭和29年は、戦争終結からたった9年しか経っていない時であった。

エヴァンジェリスト氏が物心ついた昭和30年代、広島は既に復興していた。しかし、戦争の跡、被曝の跡は広島の街のまだそこかしこにあった。

広島の川べりには、バラックが林立していた(もうしばらく前にバラックは整理され、広島の川は綺麗になったけれど)。

住友銀行広島支店の入口前には、原爆投下時、そこに座っていた人の影の跡のある石段がそのままにされていた(今は、平和資料館に寄贈されているらしい)。

高校への通学路にあった被服廠の鉄製の窓の扉は、爆風で曲がったままになっていた(多分、今もまだそのままではないだろうか)。

やはり爆風により、上部が『へ』の字型になってしまった被服廠の塀もそのままそこにあった(これも今は、平和資料館に寄贈されているらしい)。

被服廠は煉瓦造りの建物であるが、同じ煉瓦造りなら被服廠の方が、『キャッスル・クリントン・ナショナル・モニュメント』よりもずっと歴史的意味合いがあるのではないのか!

昭和30年代はまだ、広島市内には、首筋等にケロイドのある人たちを街中で普通に見かけていたのだ。

平和資料館に行くと、もっと悲惨な『現実』をもっと見ることができるであろう。

エヴァンジェリスト氏の義理の伯母は被曝者であった。だから、その子供たち(エヴァンジェリスト氏の従兄弟たち)は、被曝2世である。

被曝はしていないが、原爆はエヴァンジェリスト氏の身近にあるのだ。原爆だけが悲惨であるとは思わないが、

米国民は、そういった広島の『現実』を知らされているのか?原爆に限らず戦争たるものの『悲惨』を知っているのか?もし、知らさせれていないとしたら(或いは、それを知ろうとしていないのなら)、それが真に『自由』の国であるのか?

……そんな想いを胸に抱きながら、エヴァンジェリスト氏は、上司と次の『場所』に向かって行った。

その『場所』とは………



(続く)





2017年8月6日日曜日

アメリカに自由はあったか(その20)【米国出張記】





自分の妻の実家自慢をする上司に怒りを覚えたからなのか、そこが『バッテリー・パーク』(バッテリーの公園)なので感電したからなのか、エヴァンジェリスト氏は首筋が、ピリピリ、チクチクする感じがしたのであった。

エヴァンジェリスト氏は、『バッテリー・パーク』(バッテリーの公園)とはいっても、バッテリー(電池)の公園ではないことを知らなかった。

『バッテリー』という名の砲台が名前の由来であることは、ご存じの方も多いのであろうが、そのことをエヴァンジェリスト氏が知ったのは、2017年であった(つまり、今、である)。エヴァンジェリスト氏が、上司と『バッテリー・パーク』を訪問した1989年から28年後のことであった。

さすがに、本当に『バッテリー(電池)』の公園であろうとは思っていなかったが、どうしても頭の中には『バッテリー(電池)』が浮かんで来たのだ。

実のところ、エヴァンジェリスト氏は、『バッテリー・パーク』に興味はなかったのだ。

だから、『バッテリー・パーク』のこんな銅像を見ても、それが何であるのか、知らなかったし、知ろうとともしなかった。




それは、『エイズ被害者のためのモニュメント』であったのだ。

有名な銅像であるらしいが、エヴァンジェリスト氏がこのモニュメントを撮影したのは、その背後に、公園の木々があり、その向こうにいくつものビルが聳えている様子が、ニューヨークらしい、と思ったからなのであった。

撮影対象は、『エイズ被害者のためのモニュメント』ではなく、聳えるビル群であったのだ。

『バッテリー・パーク』には、次のような古い建物があったが、それについても何であるのか、知らなかったし、知ろうとともしなかった。



それは、『キャッスル・クリントン・ナショナル・モニュメント』であり、1812年の米英戦争時に、要塞として建てられ、その後、オペラ・ハウスや移民局、水族館として使われて来た歴史的建造物である。

しかし、エヴァンジェリスト氏は、そんなことは知らなかったし、由緒あり気な建物とは理解したが、それがどうしたと云うのだ、という心持ちでなのであった。

どんなに歴史があると云ったところで、たかだか200年程度であろう。歴史があればいいとも思わないが、歴史があると自慢するその歴史が、たかだか200年では自慢するには足らない、と考えるのだ。

要は、エヴァンジェリスト氏は、『米国』に関心がないのだ。『米国』が好きでなかった、という方が正しいかもしれないし、今も好きではないのだ。米国民を、ではなく、『米国』という国を好きではないのだ。

独善的だと思うし、本当に『自由』の国なのであろうか、と思うのだ。

その時(1989年6月24日である)、エヴァンジェリスト氏はまだ知る由もなかったが、その年の暮、『米国』は『パナマ侵攻』をするのだ。



(続く)




2017年8月5日土曜日

アメリカに自由はあったか(その19)【米国出張記】



(参照:アメリカに自由はあったか(その18)【米国出張記】の続き)



『トリニティ教会』の次に、エヴァンジェリスト氏と上司とが訪れたのは、『US CUSTOM HOUSE』であった。



二人は、『US CUSTOM HOUSE』が何であるのか、知らなかった。何体もある彫像が重々しい雰囲気を出しており、『US』とあるので、米国政府の何らかの機関であることは察しがついた。

Wall Street(ウォール街)からそう遠くなく、ウォール街にある『NYSE』の建物にどこか似ていると感じたので、やはりお金に絡んだ機関であり、その建物であろうと、エヴァンジェリスト氏は思った。

そんな建物を前にすると、エヴァンジェリスト氏は、自分が世界を股にかける『デキル』ビジネスマンになった気がした。

だから、上司に写真を撮ってくれ、と頼んだ。『US CUSTOM HOUSE』を背景に自分を撮ってくれ、と頼んだ。

上司は、意外にも快くエヴァンジェリスト氏の依頼に応じてくれた。



しかし、シャターを押した時、背後にバスが通った。また、怪しげな男も通ったので、もう1枚撮影を上司に頼んだ。

見よ、若き日の(35歳の)エヴァンジェリスト氏の誇らしげな立ち姿を!



今度は、『デキル』ビジネスマン風に撮れたような気がした。上司に御礼を云った。

いつもは身勝手な上司だが、たまにはこちらに気を遣ってくれることもあるんだな、と見直した。

しかし、エヴァンジェリスト氏が甘いのは、そういうところだ。

1989年6月24日、『US CUSTOM HOUSE』を背にしてエヴァンジェリスト氏と上司が向ったのは、『バッテリー・パーク』(Battery Park)であった。

『バッテリー・パーク』に入ると、上司は再び、自分の妻との馴れ初めについての話の続きを始めたのだ。どうして『バッテリー・パーク』で話の続きを始めたのかは分らない。

5thアヴェニュやタイムズ・スクエア辺りで、自分の妻は、某県の殿様の家系だと云い始め、それについては、エヴァンジェリスト氏は、少しは反応していたのであった。

しかし、その後、セントラル・パークや『NYSE』、『トリニティ教会』、『US CUSTOM HOUSE』を回っている間も、上司は、夫人とのなりそめも語っていたかもしれなかったが、エヴァンジェリスト氏に興味はなく、上司の話はただ耳に入れているだけであった。

上司の話はろくに聞かず、セントラル・パークを周遊すると思われる馬車や、『NYSE』、『トリニティ教会』を写真に撮り、『US CUSTOM HOUSE』は、自分も一緒に写真に収まる等、していたのだ。

だが、自分の写真を撮ってもらい、こちらに気を遣ってくれることもあるんだと上司を見直したりするものだから、そんな隙を与えたものだからか、上司は、いい気になった。

「披露宴を2回やんなきゃ、いけなかったんだぜ」
「はあ?披露宴を2回?」

しまった、しまった。思わず、反応してしまった。

「女房の実家(〇〇県だ)でと東京との2回だ」
「それは、奥様がお姫様だから…..」
「そうなんだよ。参っちゃったぜ。お姫様だからさあ、実家の方の披露宴は300人くらい集ったんだせ」
「へえええ、300人ですか!?」

エヴァンジェリスト氏は、信州の友人の披露宴を思い出した。友人は、地元の大きな新聞販売店の跡取り息子であった。

だから、列席者はおよそ300人、地元の有名新聞社の信濃毎日新聞社の役員も、日本経済新聞社の役員も列席していた。

エヴァンジェリスト氏は、新郎新婦から一番遠い家族席に同席したので、新郎新婦の顔もよく見えない程であった。それほど、盛大な披露宴であった。

上司が、夫人の実家(地元)で行った披露宴もそんな感じであったのか、と思った。

「色んな人が挨拶に回って来て、その度に酒を注がれるから、酔っ払っちゃって大変だったぜ」

ああ、アンタが酔っ払ったら翌日の仕事をすっぽかすことは知っている。

「女房の実家は、土地も一杯持ってたから、その管理も大変なんだぜ。相続したからな」

なんだ、なんだ!そんなに土地を持っているのか!?奥様名義ではあろうが。いいのか、そんなことがあって。

自分のように真面目に働いているものが、家も持てないでいるのに、酔っ払って仕事をすっぽかすような奴が、そんな土地持ち、金持ちだなんて!

……エヴァンジェリスト氏が家(中古マンション)を購入することになったのは、それから25年後、定年(60歳)を1ヶ月前にした時なのである。その時まで、エヴァンジェリスト氏は、結婚してから31年の間、賃貸住まいを続けることになるのだ。

上司の話に怒りを覚えたからなのか、そこが『バッテリー・パーク』(バッテリーの公園)なので感電したからなのか、エヴァンジェリスト氏は首筋が、ピリピリ、チクチクする感じがしたのであった。



(続く)