「エヴァさん、曲がれるよね?」
列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、『冤罪弁護士』として、儲けにはならないが、刑事事件を扱う『今村核』氏は、大会社の副社長であった父親の理解を得られなかったようだが、その父親が、定年退職後、自らも弁護士となったのは、『曲がったことが嫌いな男』である息子のことを、実は理解していたか、理解しようとしていたのであろう、と思うようになることを、まだ知らなかった。
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1982年の冬……….
エヴァンジェリスト氏は、会社の同期の皆でスキーに行くことなり、同期の1人であるオン・ゾーシ氏の依頼でオン・ゾーシ氏運転のセダンに同乗していたが、軽井沢のやや急なその坂道を登り切れなかった、その時、大学1年の時の夏合宿を想い出していた。
OK牧場大学文学部1年の時(1974年だ)、エヴァンジェリスト氏は、所属した大学公認サークルの『四田文学学生会』の夏合宿で、軽井沢に来た。
エヴァンジェリスト氏には、OK牧場大学文学部に入ったからには『文学者』にならないといけない、という思い、そして、歴史ある『四田文学』の一員に自分もならなくてはならない、という焦燥感のようなものがあった。
金持ちだけが行く場所であり、そこには、自分が永久に触れることもないであろうと想っていた華やかな女性もいる場所でもある軽井沢に行くこと自体も、エヴァンジェリスト氏の胸を期待に膨らませた。
しかし、『四田文学学生会』の夏合宿のあった軽井沢は、草の生い茂った場所で、高級避暑地を思わせるものは何もなく、合宿にいたのも、暗い文学者然とした先輩や、やたら声高に『文学』を論じる同期たちだけであった。
詰まらなかった。エヴァンジェリスト氏にとって、『四田文学学生会』の夏合宿は、堪らなく詰まらないものであった。
『四田文学学生会』の夏合宿で、エヴァンジェリスト氏は、自分が『文学者』ではないこと、『文学者』にはなれないことを知った。
夏合宿以降、エヴァンジェリスト氏は一切、『四田文学学生会』の部室にも、合宿等のイベントにも顔を出すことはなかった。
しかし1982年の冬、スキー場に向う途中、
『キュ、キュ、キューッ!』
と、乗ったクルマが凍結した坂道を転げ落ちそうになり、そこが『軽井沢』と聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、『四田文学学生会』を苦く思い出したのだ。
「(結局、ボクは、『文学者』にはなれなかった。いや、ならなかった)」
そして、エヴァンジェリスト氏は、更に、多分、氏以外の誰にも理解不能な、もう一つの回想を始めた。
「(そして、ボクは、『ボルグ』にも『マッケンロー』にもなれなかった…..)」
それも、軽井沢であった。
1981年の夏、エヴァンジェリスト氏は、軽井沢のテニス・コートにいた。
正確に云うと、テニス・コートの側に立っていた。
新入社員であったエヴァンジェリスト氏は、テニス部に入り、夏合宿に参加していたのだ。
「お前、野球部じゃなかったのか?」
ハンソデ先輩に訊かれた。
「ええ、野球部にも入っています」
「なんで、テニス部に入ったんだ?」
ハンソデ先輩は、テニス部の部長だ。冬でも半袖の服を着る、元気溌剌なハンソデ先輩だ。
「ああ、テニスもしてみたくなりまして」
嘘ではなかった。
「じゃ、どうしてラケット持ってないんだ?」
「はっ!?」
(続く)
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