2018年5月13日日曜日

【曲がったことが嫌いな男】石原プロに入らない?入れない?[その87]



「エヴァさん、曲がれるよね?」

列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、Mac好きであるが故に、妻にも子ども達にも、『真っ直ぐに』Macintoshの使用を強いるようになることをまだ知らなかった。


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1980年12月、エヴァンジェリスト氏は、上池袋下宿の側にある薬局にいた。

『3.75畳』の下宿で、、修士論文『François MAURIAC論』の執筆中に体を痛め、薬を求めてその薬局に行ったのだ。

「うっ!」

エヴァンジェリスト氏は、呻き声を上げた。

店(薬局)の女性(おばさん)が、エヴァンジェリスト氏の背中に、湿布を貼り、その湿布の上をポンと叩いたのだ。

「無理でしょ?自分で背中に湿布貼れないでしょ?ウエ、脱ぎなさい。湿布、貼ってあげるから」

と、気遣ってくれたのだが、ポンと叩かれると、猛烈な痛みが走った。

しかし、背中をポンと叩かれ、体が前のめりになった時、ガラス・ケースの端にひっそりと置かれたチョコレートの箱のようなオシャレな小箱が、再び、目に入った。

店の女性(おばさん)が、湿布と痛み止めを取りに行っている間にも、エヴァンジェリスト氏は、その小箱を目にし、痛めた体全体は『歪んで』いたが、ある部分だけは『真っ直ぐ』となった。

その小箱が、チョコレートの箱ではなく、何であるのか判ったのだ。

そして、再び、そのオシャレな小箱が、目に入り、エヴァンジェリスト氏の体のある部分が再び、自分は『曲がったことは嫌いな男だ』と主張するかのように、硬く『真っ直ぐ』になった。

「(マズイ…….)」
「あら、どうしたの?大丈夫?」

『うっ!』と呻いたきり、沈黙したエヴァンジェリスト氏を心配した店の女性(おばさん)は、背中から回り込むようにエヴァンジェリスト氏の顔を覗き込んだ。

「いえ…..」

エヴァンジェリスト氏は、両手で股間を隠した。

「湿布張り替える時、自分でできないようだったら、またウチに来なさい」

店の女性(おばさん)は、何も気付かないフリをして、ムスコのようなエヴァンジェリスト氏にそう声を掛けた。

………こうして、体を『曲げてしまう』という窮地に陥ったエヴァンジェリスト氏は、薬局の女性(おばさん)に湿布を貼ってもらい、その後に飲んだ鎮痛薬も効いたのか、再び、修士論文『François MAURIAC論』の執筆に取りかかることができるようになったのであった。






それから1年余り後の1982年の冬、上池袋の交差点近くにある薬局前、公衆電話ボックス横に、茶色のカジュアルなコートを着た男が、コートのポケットに両手を入れ、肩をすぼめて立っていた。

男の視線は、歩道に落ちていた。

「(ここの歩道も壊されたのであろうか?)」

男が上池袋に初めて来た時(下宿探しに来た時である)、ある古びた立て看板を見て驚いた。

『暴力学生追放!』

看板にはそう書いてあったのだ。学生紛争の名残りである。


男が上池袋に初めて来た1980年は、もう学生紛争はおさまっていた。男は、団塊世代の少し後の世代で、大学に入った(1974年)頃には、男の大学(OK牧場大学)の構内には、学生運動の立て看板は一つもなかった(男の友人のハンカチ大学では、まだそんな立て看板を目にはしたが)。

「(ここの歩道も壊して、投石したのであろうか?)」

学生たちは、多分、今、男の目の前にある明治通りでも、投石をしていたのであろう。

「(学生たちは、そう、兄たちの世代の若者たちは、社会を変えたかったのであろう)」

しかし、明治通り沿いの一般の市民にとっては、歩道を壊し、投石をする学生たちは、ただの『暴力学生』に過ぎなかったのだろう。

男も『今』(1970年代、1980年代)の社会がいいとは思っていなかった。男は親にも反発していた。親は、『今』の社会の象徴でもあったのだ。

男が、故郷の広島の大学には進学せず、上京して来たのは、親から離れたかったからなのであった。

男は、親のいいなりになるのが嫌であった。社会に飲まれるのが嫌であった。

『世の常識』を強いられることに耐えることができなくなっていたのだ。

『世の常識』に従わないでいることは、孤独であった。その孤独感を男は、François MAURIAC(フランソワ・モーリアック)と共有したのだ。



(続く)




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