「エヴァさん、曲がれるよね?」
列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、自分のMac好きの影響を受けた息子も『真っ直ぐに』Mac好き(というかApple好き)になり、最初勤めていた会社でMacを使えないことから、転職さえも考えるようになることを、まだ知らなかった。
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大連にいた頃であったかと思うが、幼き遠藤周作は、母親に『毎日水やりをしたら、 お花が咲く』と云われ、雨の日も傘をさしながら、花に水をやっていた、という。
「(ああ、ボクも同じだった….)」
1982年の冬、上池袋の交差点近くにある薬局前、公衆電話ボックス横に、茶色のカジュアルなコートを着て立つ男は、幼き遠藤周作と同じ経験をした幼き自分を思い出していた。
広島大学附属小学校の入学試験でのこと、6歳であった男は、男の前に置かれた天秤に関する質問(問題)を試験官から受けた。
「さあ、どっちが重いかな?」
天秤は、向って右側に錘が置かれ、必然的に右側が下がっていた。
「こっち!」
男(6歳である)が指差したのは、左側であった。男(6歳である)は、幼き遠藤周作同様、知恵が少々足らなかったようなのだ。
あの時、
「こっち(右)!」
と答えていれば、男の人生は変っていたかもしれない(「こっち(左)と答えた男は勿論、広島大学附属小学校に合格しなかった)。
有名進学校であった広島大学附属小学校に入り、そのまま広島大学附属中学校、高等学校へと進学していたら、OK牧場大学ではなく、東京大学にでも入っていたかもしれない。
あの時、
「こっち(右)!」
と答えていれば、目黒区の八雲の下宿(当時あった都立大学の直ぐ横にあった)に住むようなことにもならず、上井草にも下宿することにはならず、その次に、『ここ』上池袋に下宿を求めることもなかったであろう。
1982年の冬、上池袋の交差点近くにある薬局前、公衆電話ボックス横に、茶色のカジュアルなコートを着て立つ男がそんな感慨に浸っている時であった……
「エヴァンジェリストさん、寒いわねえ。そんなとこ立って、どうしたの?」
そう声をかけて来たのは、薬局のおばさんであった。
男は、エヴァンジェリスト氏であったのだ。
そして、エヴァンジェリスト氏に声を掛けてきた薬局のおばさんは、修士論文『François MAURIAC論』の執筆中に体を痛めたエヴァンジェリスト氏の背中に湿布を貼ってくれたおばさんであった。
「あ、今晩は。スキーに行くんです」
「へええ、いいわねえ。若い人は」
「初めてなんです」
「あーら、じゃあ、気をつけないとね」
「え?」
「でも、楽しんでらっしゃい」
「はい」
「体痛めたら、また湿布でも貼ってあげるわ」
『湿布』と聞き、エヴァンジェリスト氏は、顔を紅潮させた。
「あら、熱あるんじゃないの?顔が赤いわよ」
「いえ、大丈夫です」
と答えながら、エヴァンジェリスト氏は、コートにポケットに突っ込んだ両手で股間を抑えた。
『湿布』と聞いた瞬間に、『湿布』を買いに行ったあの時、カウンターになっているガラス・ケースの端にひっそりと置かれた、オシャレな小箱を思い出したのだ。
それは、チョコレートの箱用にも見えたが、勿論、チョコレートの箱ではなく、その用途を想像し、エヴァンジェリスト氏の体のある部分に『異変』が生じたのだ。
そして『今』、薬局のおばさんとの会話で再び、エヴァンジェリスト氏は、あのシャレな小箱を思い出し、体のある部分に『異変』が生じたのだ。
「女の子も一緒なの?」
「へっ!?」
(続く)
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