「エヴァさん、曲がれるよね?」
列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、後に、フラッシュ・メモリーを発明した舛岡富士雄さんについて、その『曲がったことが嫌いな男』ぶりは(他の人とは違う様は)、まるで『ミスター・シューベルト』だ、と思うようになることを、まだ知らなかった。
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1980年12月、上池袋の『3.75畳』の下宿で、エヴァンジェリスト氏は、
「うっ!」
という声を発し、体を左100度程、回したまま、そのままの姿勢で万年床に倒れた。
小さな炬燵に足を入れ、万年床を座布団替りに、修士論文『François MAURIAC論』書いていた時、無理な体勢を取ったばかりに、体を痛めたのだ。
「(死ぬう…….このまま、この体勢のままでボクは死ぬのか……?)」
とは思ったが、無論、死ぬことはなく、少し時間を経て、『やや左に傾いた姿勢のまま』部屋を出て、近所の薬局まで行った。
「あら、どうしたの?」
と、店(薬局)の女性(おばさん)が、店のカウンターから出てきた。
「(…….)……痛いんです…..」
声が出ない。右手で肩を叩き、次いで、その手を脇の下から背中に回すようにした。
「ああ、首、肩、背中ね。じゃあ、湿布ね。それと痛み止めだわね」
そう云うと、店の女性(おばさん)は、カウンターの向こうに戻った。
声が出ず、『歪んだ』姿勢のまま、エヴァンジェリスト氏の視線は、カウンターになっているガラス・ケースに行った。ケースの端に、ひっそりとオシャレな小箱が重ねてあった。
「(…….チョコレート?)」
いや、そこは薬局であった。薬局にチョコレートがある訳がなかった。
「(…….!)」
それが何であるか、判った。
「(おお…….!!)」
体そのものは『歪んで』いたが、ある部分が『真っ直ぐ』となった。
「おや、熱もあるのかい?」
店の女性(おばさん)が、カウンター越しに声を掛けてきた。
「顔が赤いわよ」
そう云われ、若きエヴァンジェリスト氏の顔は、更に紅潮した。
「(ち、ち、違います…….)」
と、声が出ないエヴァンジェリスト氏は、自らの顔の前で右手を左右に振った。
「おや、そうかい」
自ら否定の仕草はしたものの、何が『違う』のだろう、と思った。
「これを貼るといいさ」
店の女性(おばさん)が、カウンターから出てきた。手には、湿布の箱を持っていた。
「これ、効くやつだからね」
と、店の女性(おばさん)は、エヴァンジェリスト氏の前で、手に持った湿布の箱に視線を落とした。
「(マズイ…….)」
エヴァンジェリスト氏は、伸びるジーパンを穿いていた。伸びるジーパンは、ジーパンだから丈夫で、でもストレッチが入っているから、普通のジーパンのように穿いていてキツくはない。
「(気付かないで…….)」
ジーパンは、体に起きた『異変』をそのまま見せていたのだ。
「おや、ま!」
と、店の女性(おばさん)は、口を丸く開け、エヴァンジェリスト氏を見た。
(続く)
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