「エヴァさん、曲がれるよね?」
列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、自動券売機で切符を購入する際に、自動券売機に話しかけていた朝丘雪路は、ひょっとしたら『真っ直ぐに』AI時代を予見していたのかもしれないと思うようになることを、まだ知らなかった。
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「(うっ…..)」
セダンの前方席の2人(オン・ゾーシ氏とその恋人のニキ・ウエ子さん)の痴話を耳にしながら、うたた寝し、いつの間にか後部座席で横になっていたエヴァンジェリスト氏は、シートの背に体を打ち付けた。
1982年の冬、同期の皆でスキーに行くことなり、エヴァンジェリスト氏が、同期の1人であるオン・ゾーシ氏の依頼で同乗していたセダンが、やや急なその坂道を登り切れず、スリップして下にずり落ちたようであった。
坂道は、凍結していたようなのだ。
「スリップしてね。この坂は無理かなあ…..」
「ああ…..」
「軽井沢のここを通った方が早いんだけどねえ」
「軽井沢……」
「(軽井沢かあ……)」
「別の道、行くね」
というオン・ゾーシ氏の言葉も聞こえてはいたが、エヴァンジェリスト氏の意識はもう別のところに行っていた。
OK牧場大学文学部1年の時、エヴァンジェリスト氏は、所属した大学公認サークルの『四田文学学生会』の夏合宿で、軽井沢に来たことがあった。
『四田文学』なる雑誌がある。OK牧場大学文学部を中心として刊行されて来た文芸雑誌である。
OK牧場大学文学部に入ったからには、『四田文学』に(正しくは、『四田文学学生会』に)入らなければならない、という一種の強迫観念から、エヴァンジェリスト氏は、入学して間もなく、『四田文学学生会』に入部した。
『四田文学学生会』で何をするか分からぬまま入会したエヴァンジェリスト氏は、その後、部室には1、2度しか足を踏み入れなかった。
1年生は授業も多く、結構忙しくもあった。それに、授業を受けている方が楽しかった。
しかし、OK牧場大学文学には、女性が多かった。広島から出て来たウブな青年(というか少年に近い男)には、都会の女性は眩しく、また、馨しかった。
講師の授業を一応は聴きながら、目と鼻は同期の女性たちに向い、『四田文学学生会』の部室に向かう気持ちは湧かなかった。
授業中、常に股間には『異変』が生じていたのだ。
『文学者』なるものがどういうものであるのか知らなかったが、エヴァンジェリスト氏には、OK牧場大学文学部に入ったからには『文学者』にならないといけない、という思いがあった。
『四田文学』に対する思いよりも、股間の本能の方が強かったが、歴史ある『四田文学』の一員に自分もならなくてはならない(その一員になることができる大学に入ったのだから)、という焦燥感のようなものもあったのだ。
そうした時、エヴァンジェリスト氏は、『四田文学学生会』の夏合宿があることを知り、合宿参加の申込をした。合宿費用は、親に無心した。
合宿は、軽井沢で開催されることも、エヴァンジェリスト氏に参加の気持ちを持たせた。
田舎(広島)に育った者には、軽井沢は夢の地であった。
軽井沢は、金持ちだけが行く場所であった。そこには、自分が永久に触れることもないであろうと想っていた華やかな女性もいる。でも、ひょっとしたら、こんな自分でも….……..
行ったことも、見たこともないのに、そう想っていた。
(続く)
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