「エヴァさん、曲がれるよね?」
列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、「海は危険」という親の忠告を守り、海水浴をしなかった朝丘雪路は、自分と同じで『曲がったことが嫌いな男、いや、女』だと思うようになることを、まだ知らなかった。
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田舎(広島)に育った者(エヴァンジェリスト氏)には、軽井沢は夢の地であった。
「軽井沢のここを通った方が早いんだけどねえ」
「軽井沢……」
「(軽井沢かあ……)」
「別の道、行くね」
1982年の冬、会社の同期の皆でスキーに行くことなり、エヴァンジェリスト氏が、同期の1人であるオン・ゾーシ氏の依頼で同乗していたセダンが、軽井沢のやや急なその坂道を登り切れず、別の道を行くことになったのだ。
しかし、エヴァンジェリスト氏の意識はもう別のところに行っていた。
OK牧場大学文学部1年の時(1974年だ)、エヴァンジェリスト氏は、所属した大学公認サークルの『四田文学学生会』の夏合宿で、軽井沢に来たことがあった。
エヴァンジェリスト氏には、OK牧場大学文学部に入ったからには『文学者』にならないといけない、という思いがあった。
そして、歴史ある『四田文学』の一員に自分もならなくてはならない(その一員になることができる大学に入ったのだから)、という焦燥感のようなものもあったのだ。
更に、合宿は、軽井沢で開催されることも、エヴァンジェリスト氏に参加の気持ちを持たせた。
軽井沢は、金持ちだけが行く場所であった。そこには、自分が永久に触れることもないであろうと想っていた華やかな女性もいる。でも、ひょっとしたら、こんな自分でも….……..
しかし、『四田文学学生会』の夏合宿のあった軽井沢は、草の生い茂った場所で、高級避暑地を思わせるものは何もなかった。
また、合宿にいたのは、暗い文学者然とした先輩や、やたら声高に『文学』を論じる同期たちだけであった。
女性もいたような気もするが、明確な記憶はない。少なくとも、エヴァンジェリスト氏の股間に『異変』を生じさせるような女性はいなかったのであろう。
合宿で何をしたのかの記憶も定かではないが、読書会であったような気がする。
三島(由紀夫)だとか、川端(康成)といった作家の名前が交わされていたようにも思う。他にも、エヴァンジェリスト氏の知らない作家の名前も出ていた、多分。
詰まらなかった。エヴァンジェリスト氏にとって、『四田文学学生会』の夏合宿は、堪らなく詰まらないものであった。
エヴァンジェリスト氏は、三島(由紀夫)の小説も川端(康成)の小説も、他の学生達が名前を出した作家の小説も詩も読んだことはなかった。
興味がなかったのだ。そもそも文学に興味があったのではない。エヴァンジェリスト氏に興味があったのは、遠藤周作とFrançois MAURIAC(フランソワ・モーリアック)だけであった。
高校時代、エヴァンジェリスト氏が読んでいたのは、殆ど遠藤周作の小説と随筆だけなのである。
OK牧場大学文学に入ってからも読むのは、遠藤周作とフランソワ・モーリアック、そして、やはり遠藤周作の影響で、グレアム・グリーン、ジュリアン・グリーン、マルキド・サドだけであった。
極端な偏食ならぬ『偏読』であった。
因みに、遠藤周作が、そして、その影響を受けたエヴァンジェリスト氏が、マルキド・サド(サド侯爵)に関心を持ったのは、『サディスト』であったからではない。
遠藤周作のことは知らないが、エヴァンジェリスト氏はどちらかと云えば、『S』ではなく『M』の方だ。
『義人』ではないマルキド・サド(サド侯爵)は、『偽善への嫌悪』の象徴であったのだ。
(続く)
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