「エヴァさん、曲がれるよね?」
列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、会社(東芝)の方針に従わず、フラッシュ・メモリーを発明した舛岡富士雄さんも『曲がったことが嫌いな男』だと後に知ることになることを、まだ知らなかった。
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「女の子も一緒なの?」
と、エヴァンジェリスト氏と訊いたのは、薬局のおばさんであった。修士論文『François MAURIAC論』の執筆中に体を痛めたエヴァンジェリスト氏の背中に湿布を貼ってくれたおばさんであった。
1982年の冬、エヴァンジェリスト氏は、上池袋の交差点近くにある薬局前、公衆電話ボックス横に、茶色のカジュアルなコートを着て立っていた。
エヴァンジェリスト氏が、スキーに行くと聞き、薬局のおばさんは、云ったのであった。
「あーら、じゃあ、気をつけないとね。体痛めたら、また湿布でも貼ってあげるわ」
『湿布』と聞き、エヴァンジェリスト氏は、顔を紅潮させ、コートのポケットに突っ込んだ両手で股間を抑えた。
『湿布』と聞いた瞬間に、『湿布』を買いに行ったあの時、カウンターになっているガラス・ケースの端にひっそりと置かれた、オシャレな小箱を思い出し、その用途を想像し、エヴァンジェリスト氏の体のある部分に『異変』が生じたのだ。
その時、薬局のおばさんが訊いたのだ。
「女の子も一緒なの?」
「へっ!?」
「女の子も一緒だと、楽しいわよね。ふふ」
「(いや、アソコが反応したのは、スキーに女の子たちも行くからではないのだ。あの小箱を思い出しただけなのだ)」
エヴァンジェリスト氏は、相手のいない反論を頭の中でした。
「好きな子も一緒なのかい?まあ、楽しんでらっしゃい」
薬局のおばさんのその言葉に、エヴァンジェリスト氏の顔の紅潮は増し、体のある部分は、『自分は曲がったことが嫌いです』と云わんばかりの硬直を示した。
「ふふ」
謎の含み笑いを残し、薬局のおばさんは、薬局に戻って行った。
「プ、プー!」
鳴ったのは、クラクションであった。
1台のセダンが、エヴァンジェリスト氏の前に止った。
セダンの運転席にいたのは、オン・ゾーシ氏であった。そして、助手席に座っていたのは、ニキ・ウエ子さんであった。
「エヴァさん、お待たせ」
助手席のニキ・ウエ子さんが、ウインドウを開け、声を掛けて来た。
そう、エヴァンジェリスト氏は、オン・ゾーシ氏の依頼で、オン・ゾーシ氏がニキ・ウエ子さんと行くクルマに同乗することになっていたのだ。
「バタン!」
後部席のドアを開け、エヴァンジェリスト氏はセダンに乗り込んだ。
その週末、エヴァンジェリスト氏は、会社の同期でスキーに行くことになった。
スキー場には、夜行バスで行くことになったが、オン・ゾーシ氏は、ニキ・ウエ子さんとクルマで行きたかった。二人は、付き合っていた。
しかし、付き合っていることは、秘密にしていたので、カモフラージュにエヴァンジェリスト氏を使うことにしたのである。
オン・ゾーシ氏は、エヴァンジェリスト氏には秘密を明かし、同乗、同行を依頼したのだ。エヴァンジェリスト氏が、『曲がったことが嫌いな男』で、秘密を打ち明けられたら、その秘密を他人に明かすようなことをする男ではないことを、オン・ゾーシ氏は知っていた。
セダンは、明治通りを走り始めた。
「はい、アーン」
(続く)
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