2017年5月22日月曜日

司書は見た!(後編)




「ウソ!ウソよ、そんなこと」

勤務先の図書館を出て、駅に向かう途中、シゲ子は同僚のトシ子に、大きくかぶりを振って抗議したのであった。

トシ子が素敵だと思っている老紳士のことをトシ子は変態だと云うのだ。

その老人が、図書館の美術コーナーで、『名画で読み解く「世界史」』の表紙を見て、鼻息を荒くしていたが、それは、その本の表紙に使われたドラクロワの『民衆を導く自由の女神』に描かれたマリアンヌのはだけた胸を見て、興奮していたのだ、とトシ子は主張するのだ。

「違う!違うわよ!あの方は、ドラクロワの芸術に興奮していらしたのよ、きっと!」

と反論するシゲ子に、トシ子は云った。

「だけどね、爺さんが立ち去った後にはね…..」






====================


「だけどね、爺さんが立ち去った後にはね…..」

トシ子は、鼻をつまみながら云った。

「使ったティッシュが転がっていたのよ。あー、フケツ!あんな爺さんのくせに」
「違うわ。きっとお風邪を召してたのよ」
「マリアンヌのはだけた胸に興奮した結果よ、あのティッシュは」
「あの方は、きっと大学教授でいらしてよ。西洋美術史の研究をなさってるのよ」
「あのティッシュ、栗の花の匂いがしたのよ」
「この間は、マティアス・アルノルトが書いた『エドヴァルト・ムンク』をお借りになられていたわ。パルコ美術新書から出ている真野宏子さんという方が訳した本よ」
「そんなのカモフラージュか、その真野なんとかっていう訳者に興味があるかなのよ」
「スザンヌ・フェイジェンス・クーパーの『エフィー・グレイ――ラスキン、ミレイと生きた情熱の日々』もお借りだったわ。訳者は、安達まみ、って方よ」
「それって何か裏があるわね。エフィの激しい生き方に興奮したか、エフィの妹で美少女のソフィに興奮でもしたんじゃないの。ソフィって、エフィが再婚したジョン・エヴァレット・ミレイと関係があったっていう噂もあるしね。あの爺さん、ロリコンの気もあるかもね
「トシ子、詳しいのねえ」
「あの爺さん、変態なのよ!今日は、『ヘンタイ美術館』を借りていったのよ!」
「ああ、『山田五郎』と『こやま淳子』の掛け合いで西洋美術を語っている本ね」
山田五郎』が、ダ・ヴィンチやミケランジェロよりもラファエロの方だって云っているやつでしょ。でも、あの爺さん、『ヘンタイ』という文字だけで借りていったのよ」


「あなた、酷いわ。あんな素敵なおじさまのことを」
「何が『素敵なおじさま』よ。あんな爺さんのこと、忘れるのよ。ただの退職老人なんだから」
「退職老人って、どうしてそんなこと分るの?あなた、あの方のこと、知ってるの?」
「……知らないわよ。あんな臭い爺さん」
「あら、臭かったかしら」
「老人臭と汗とが入り混じった妙ちくりんな臭いよ」
「爽やかな感じのジェントルマンだと思うけど」
「臭いのは、四六時中、パジャマを着ているからよ」
「え?.....どうして」
「ウチの図書館に来るときだって、パジャマよ」
「ええ?いつもダンディな服をお召しだったと思うけど」
「でも、あれがパジャマなのよ。寝ても起きても着てるから臭いのよ、あの爺さん」
「シゲ子、どうして、そんなこと分るの?」
「え…?だって、見れば分るじゃないの」
「そうかなあ….」
「あなたは、あの臭いは耐えられないわ。忘れなさい」
「まるで、あなたはあの方の臭いに耐えられるみたいね」
「あの爺さん、臭いだけでなく、夜な夜な蠢いているのよ。毎夜、明け方まで自分の部屋に篭って、スケベな画像をネットで見てるのよ」
「どうして?どうして、そんなこと分るの!?」
「目を見れば分るわ。目が赤いのよ。真っ赤よ。スケベな画像の見過ぎなのよ。眼科に行って診てもらったほうがいいのよ」
「あなた、おかしいわ」
「あんな変態爺さんのこと、忘れなさい!」
「変よ、そんなムキになって」
「画像だけでは物足りなくなって、ナマで見たいって…」
「あなたって、まさかあの方と…..」
「違う、違う!あんな臭いお爺ちゃんなんか、大っ嫌い!」
「お爺ちゃん…?あなた、やっぱり…..」
「違う、違う!違うってばあ!」

そう云うと、トシ子は、泣き出し、駆け出して行った。

「トシ子….」

置き去りにされたシゲ子は、同僚の咽び泣く同僚の背中がどんどん遠のいていくのを見ながら、呆然と立つ尽くしていた。


(おしまい)




0 件のコメント:

コメントを投稿