「あの爺さん、きっと変態よ」
看護師のアグネスが、受付をしている同僚に吐き捨てるように云った。今しがた、治療を終えて帰って行った老人のことである。
「ドライアイだなんて、変態だからよ」
「あら、高齢になると、涙不足、脂不足でドライアイになりやすいんでしょ?」
同僚のシゲ代が訊いた。
「普通はね。でもあの爺さんは違うわ」
「でもあの方、トンミーさんって、とっても知的に見えてよ。大学教授みたい」
「国保だから、大学教授なんかじゃないわ。ただの退職老人よ」
「そうかしら。じゃ、元・大学教授じやないのかしら。西洋美術史を研究してらしてよ。この間も、『マティス評伝の決定版』って本をお持ちだったわ」
「そんなのポーズよ。司書をしている友だちも云ってたわ。その子の勤めてる図書館にいつも、一見大学教授風だけと、実は変態の爺さんが来るんだって」
「どうして変態だと分かるの?」
「ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』が表紙になってる本を見て、興奮してるんだって」
「あら、その方も随分、美術に興味をお持ちなのね」
「違うの。自由の女神ことマリアンヌの胸がはだけてセクシーなのよ。それで興奮してるんだって」
「それって穿ち過ぎじやあなくって?」
「確かなんだって、変態なのは。だって、その本を見て立ち去った後に、ティッシュが残されてたのよ。栗の花の匂いがしたそうよ」
「栗の花?」
「決定的なのは『ヘンタイ美術館』という本を借りていったことなんだそうよ」
「あらま!『ヘンタイ』?!」
「なんか司書の友だちが云ってた爺さんに雰囲気が似てるような気がするのよねえ、あの爺さんは」
「トンミーさんって、素敵なおじさまで一度、お茶でも飲みながらお話したいくらいだったのに」
「駄目よ、騙されたら。ドライアイになったのもね、きっと........」
(続く)
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