(参照:アメリカに自由はあったか(その9)【米国出張記】の続き)
ホテル「Grand Hyatt New York」で寛ぎたかった。エヴァンジェリスト氏は疲れていたのだ。
1989年6月22日(2017年の今から28年前のことだ)、エヴァンジェリスト氏が上司と共に、ロサンゼルスからニューヨークに向う飛行機便が、機体に不具合があった模様で、4時間程、遅れたのだ。
JFK空港に午後6時55分着の予定であったものが、午後10時半過ぎにようやく到着したのである。
JFK空港からタクシーに乗った。
そして、夜11時過ぎ、到着したホテル「Grand Hyatt New York」は、ニューヨークの中心である「グランド・セントラル」駅の上にある超高級ホテルであった。
食事を簡単に済ませ、ベッドに倒れ込みたかった。
「Grand Hyatt New York」のフロントでチェックインを終えると、上司が云った。
「部屋に荷物置いたら直ぐに行くぞ」
サンペイ先輩が待つ和食の店に行こうというのだ。
米国に来て和食を食べなくてもいいのに、とは思ったが、まあいい、とにかく早く食事を終え、眠りにつきたかった。
エヴァンジェリスト氏と上司とは、「Grand Hyatt New York」を出て、どこかに向った(サンペイ先輩が待つ和食の店がどこにあるのか、エヴァンジェリスト氏は知らなかった)。
上司がどんどん歩いて行き、エヴァンジェリスト氏はただ着いて行くだけであった。
英語は分らなかったとはいえ、上司は、1年弱、生活したニューヨークの街の地理は分っているようであった。
上司は、歩きながら、ニューヨークの街をエヴァンジェリスト氏に解説した。
いや、思い出に浸っているだけのようであった。少なくともエヴァンジェリスト氏は、その解説に興味はなかった。
「あの辺のビルの地下だったと思うんだよなあ」
上司は、歩きながら、ある夜のことを語り出した。
バーで隣り合わせた男(米国人)が、上司の手を取り、自分の胸にそれを持っていったそうだ。手に硬いものを感じた。
ピストルであった。
『撃ちたいか?』と訊かれ、『Oh, Yes!』と答え、バーを出て行ったのが、『あの辺のビルの地下』であったのだそうだ。
『あの辺のビルの地下』で、ピストルを何発か撃ったのだそうだ。
アメリカではピストル所持は許されているので(ニューヨークもそうであったのかは知らなかったけれど)、上司がピストルを撃ったこと自体を否定はできなかったものの、果して、上司は、そんな会話をアメリカ人とできたのか、という疑問はあった。
後に、エヴァンジェリスト氏は、米国の提携先の日系人から聞いた。
「あの人(エヴァンジェリスト氏の上司)は、凄いですね。ニューヨークにいる間(駐在している間)、英語で殆ど話をしなかったそうなんですよ。オフィスに出社しても『Good Mroning』くらいしか云えないので、オフィスのアメリカ人たちも、最初はランチに誘ったりしていたそうだけど、その内、あの人とは全く話もしなくなったそうです。それでよく1年近く、ニューヨークにいたもんだ、と感心します」
しかし、その夜、上司は、目的の和食の店に向いながら、ニューヨークの街の解説という自慢話を続けたのであった。
店にはなかなか着かない。もう11時を過ぎているのだ。
もう食事はいいから、「Grand Hyatt New York」に戻って寝たい。なのに、夜のニューヨークの街を歩きながら、上司の自慢話を聞かされているのだ。
ニューヨークの路地を見ると、何だか怖さを感じた。そこに犯罪が潜んでいるように思えるのだ。
空腹でなくはなかったが、それよりも眠気と恐怖の方が強かった。
だが、これもバチであるのかもしれなかった。
成田からのJAL便に乗り遅れ(一応、上司に迷惑をかけた)、ロサンゼルスのホテル「(Compri)Hotel」のトイレを詰まらせ、そして、そのことを「(Compri)Hotel」にきちんと伝えなかった。
そういったことのバチを今、ニューヨークで受けているのかもしれなかった。
しかし、疲れた。眠い!
(続く)
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